「可愛いって言葉は、『何もできない』って意味を含んでいるからバカにされているんだと思うんです」
ある女性がカウンセリングで呟いた言葉です。
流れるように出てきたその言葉はとても印象的でした。
話を聞いていくと、
「無口な父と優しいけど非力な母」
という子供の時の抱いた両親へのイメージがありました。
「とても不幸というわけではない、すごく仲が良いわけでもない。どこにでもある家庭。寂しさも悲しさもきっと人並です。」
過去を振り返って、そのような印象を語ってくれました。
「自分を好きになってくれる人がいても、その人に対して嫌悪感が出てくるんです」
彼女の悩みは、今の言葉にすれば「蛙化現象」かもしれません。
「いい人」だと思っていても、好意を持たれた途端に気持ちが冷めてしまう。気持ちの針が振り切って、嫌悪感や怒りにも変わっていく。
それが理由で長い間、誰ともお付き合いすることはありませんでした。
「恋愛したい!」って思っているのに、どこかで「私は恋愛しない!」と決めているようで。だから、自分に好意を抱いてくれる人が邪魔な存在になってしまうのです。
「恋愛しない!」とブレーキを踏んでいる原因は、小さい頃に抱いた母のイメージの影響でした、
「優しいけど非力な母親」
彼女は自分の中にある「弱さ」を否定していて、愛されることは自分の非力さを認めるように思っていたのです。
「あんな非力な母になりたいくない!」
もちろん、育ててもらった愛情を感じてるし、母のことを大切に思っているけれども、心の奥底にそのような思いがあったのです。
男性と競争するように仕事をして、男性を打ち負かすように勉強してきたそうです。「舐められてはいけない!」「バカになんてされてたまるか!」と。
冒頭の言葉もそんな気持ちから出てきたものでした。
本人の自覚としては、大きな悲しみも寂しさもなかったかもしれません。でも、私たちの幼少期のイメージはこのように大人になってからも、無意識に影響していることがあります。
なぜ、そんなに母のことを非力だと思ったんでしょうか?
何があればお母さんはそうはならなかったと思いますか?
カウンセリングは母との関係を読み解いていくことから始まりました。
何度もカウンセリングを進めていく中で見えてきたのは、母を救えなかった自分の非力さを本当は恨んでいたことでした。
お母さんにもっと笑っていて欲しかった。
でも、お母さんはいつも何かに我慢していて。
お母さんが「私は幸せだよ」って言っても、なんかそうじゃない気がして。
父は無口で当てにならないし、私がなんとかしたいけど。
子供の頃にそんな想いを抱えていたみたいでした。
それが
「男は当てにならない!自分が非力ではいけない!」という現在の行動のパターンに影響していました。当てにならない男に「可愛い!」と言われても「バカにすんな!」となってしまうのです。
お母さんが本当に「非力」だったのか分かりません。
お母さんが本当に「不幸」だったのか分かりません。
それが事実かどうかはあまり関係ないのかもしれません。
私たちは自分が抱いたイメージを元に、その後の人生の脚本を書き進めていきます。
母を優しいけれど非力を思っている裏側で、自分の非力さを責めている。
自分の非力さを責めているから、男性と競争してしまう。
母は本当に非力だったのだろうか?
私は本当に非力だったのだろうか?
当時の子供の視点からでは見えなかった部分に、カウンセリングで光を当てていく。その時に思い描いたイメージの解釈とは、別の解釈が見えてくる。
非力なのではなくてお互いを強く思う気持ちがそこにあっただけかもしれない。
「お母さんの愛を受け取り直してみませんか?」
愛されることを抵抗したのは、何も男性からの愛だけではなく、母の愛を受け取ることにも、本当は抵抗をしていたのかもしれない。
母の愛を受け取ることは、お母さんを理想化することでもなく、ありのままのひとりの女性として母を見つめ直すことでした。「非力」と思ってしまったのは、母への理想化があり、それが自分への理想化にも繋がってしまっていたのかもしれません。
女性にとって、その時間は、誰かと競争することも、自分を否定することもなく、優しい時間でした。
愛されることに優しさを取り戻していったことで、その女性の未来も少しずつ変わり始めました。
同じ経験をした誰もが、同じような未来を生きるとも限りません。
私たちは心の中にいただいたイメージで未来を作っていきます。
そのイメージが少しでも変われば、未来を描く脚本も変わっていきます。
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