安心感とセクシー(性的魅力)は、同居するものでしょうか?
実に、端的な質問ですよね。
もちろん、
同居いたします!
そのために、僕らカウンセラーがいると言っても
過言ではないかもしれません。
そして、
セクシャリティ桑野という、
ダンディ坂野以来のニックネームを命名されているのも、
僕の取り扱うご相談が、
セクシーさと安心感を同居させるテーマが多いからです。
・子供ができて恋人のようなロマンスを感じるパートナーシップというより、
家族としての一員になってしまった。あの頃のロマンスを取り戻したい!
・気になる彼に異性とは思ってもらえずに、
何でも話せる同性の友達のように思われてしまって恋に発展しない。
・男性には、お母さんモードやお姉ちゃんモードでしか近づいていけなくて、
仮に男性の方から女性として見られてしまったら、恥ずかしさのあまり逃げ出したくなります。
というような案件に処方箋を出している次第であります。
安心感とセクシーは共存しない?
これって男性についても言えることで、
『あの人は安心するけど、異性としては見れない』とか、
『いい人だけど、、、』とか、
『マスコットキャラだよね、、、』とか
安心感は感じるけど、恋人には思えない男性っていたりしませんか?
少し余談ですが、
この『、、、』に女性陣は様々な含みを持たせますよね(笑)
そのあたりの感覚、
つまり『、、、』と感じる能力は女性の方が長けているように思えます。
僕は妻から、
『可愛い』と『綺麗だね』はちゃんと使い分けないとダメだ!
と女性心をレクチャーされることがあります。
男性の中では、
『綺麗だね』の言葉の中に、
可愛いと美しいが共存していることがあります。
『可愛いね』の言葉の中に
愛しているや綺麗だね!という意味も含まれていたりします。
ただ、
女性からすれば、
『もっと使い分けてくれねぇと、分かんねぇんだけど!!!』
『っていうかさ、適当に「可愛い」って言っとけばいいと思ってんだろ!』
と思ってしまうこともあるのです。
それは、
男性がそれらの表現に無頓着というか、
細かく意識してないのもそうですが、
女性がよりセンシティヴに敏感に感じることができるからなんですよね。
男性は5色くらいの色鉛筆しか持ってないですが、
女性は360色の色鉛筆で心の絵を描くようなものですからね。
※男性は、色鉛筆の数を増やすように頑張りましょう!
ちょっと話がずれてしまいました。
男性の中にも、
色気を感じる人、
安心感を感じる人がいるワケです。
そして、
その両方が同居する人もいるのです。
なぜ、このようなことが起こるかというと、
この場合は、2つのパターンに分けることが出来ます。
①その男性が男性性を抑えているので、
安心感を感じるけど、異性としての色気を感じることが出来ない
②その男性が男性性を出しているけど、
受け取る側のセンサーが反応していないので、色気をキャッチ出来ていない。
この2つに分けられることが出来ます。
女性の場合にも同じことが言えます。
①女性性を抑圧しているので、色気を表現できない
②女性性を出しているけど、相手がキャッチしてくれない
という感じです。
セクシャリティについて、
扱わせてもらう時は、この①②のどちらかに問題があるというよりも、
その両方が影響していることが多いです。
恥ずかしさのブロック
セクシャリティのこの問題を阻む強敵は、
『恥ずかしさ』になることが多いです。
この恥ずかしさゆえに、
自分のセクシャリティを家の押入れの中の金庫に、
深くしまってしまうのです。
で、
その押入れの中に隠している金庫の中を見られるのは、
まさに、泥棒が入ってきて、
こじ開けられるようなものですからね。
仮に
あなたの女性の部分をしっかりと見つめてくれる男性が現れたとしても、
『きゃーーー!泥棒!!!!』
と、逃げたくなったり、フライパンで殴り飛ばしたくなります。
男性が恐く見えたり、苦手になったり、
または、イライラしてきたり、ムカついてきたり、
それが逃避行動に出るのか?攻撃性に出るのか?の違いなんですよね。
要は、
恥ずかしいのです。
つまり、
自分で抑圧してしまっていると、
セクシーさを人に見てもらっても、
感じることは出来ません。
恐れが抵抗している!?
親密感が増えていくほど、
安心感は増えていきますよね。
それと同時に、
親密感が増えていき、心の距離感が近づいていきます。
それはある意味、舞台裏を見せるようなもので、
隠せるものがなくなってしまうのです。
出会った当初は、
あんなにも素直にロマンスを感じることが出来たのに、
今は全然感じれなくなってしまった。
それを、『慣れ』という言葉で片付けてしまうことが多いですが、
実はさらに親密になること、
全てを見せることへの『恐れ』とも言えるのです。
距地が近づいていく「安心感」と、
距離が近づくからこそ感じる「恐れ」。
矛盾しているようですが、
この葛藤を無意識に感じられているケースがほとんどです。
もっと女性として、色気、セクシャリティを感じて欲しい想いと、
『いやいや、私の全てを見られたら困っちゃう〜
でも、見て〜〜〜〜!』
という想いが綱引きをしていて、
それが現実に反映されていきます。
見方を変えてみれば、
『安心感』という盾を使って、
自分のセクシャリティを閉じ込めてしまっているとも言えますよね。
安心感、
それが姉御キャラ、同性の友達キャラ、恋に無頓着キャラ、
どんな着ぐるみでもいいのですが、
その着ぐるみを被っている時は、
自分のセクシャリティを感じさせなくて済みますからね。
いろいろと書きましたが、
セクシャリティと安心感は、
対比されるような構図ではないんですよね。
でも、
いろいろな言い訳や隠れ蓑として、
対比構造のように捉えられてしまいます。
恋愛の問題でも、
『彼のことを、
安心感ばっかり感じてしまって、セクシーさを感じなくなってしまって、、、』
という悩みは聞きますが、
『彼のことをセクシーに感じまくってしまって、
安心感がなくなってしまいました、、、、』
という悩みを聞いたことがありません。
きっと、これからも聞くことはないでしょう。
セクシャリティの扱い方に慣れていない時は、
緊張やドキドキを感じてしまうかもしれませんが、
それで、
『彼のことをセクシーに感じすぎて安心できないので、離婚しようと思ってます!!』
と相談に来られることはないでしょうね。
セクシャリティと安心感、
それを対比構造で捉えてしまうこと自体、
実はワナなのかもしれませんね。
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