相手を追いかけている恋愛は、自分が相手のためにかけた時間やエネルギーの度合いだけ、相手の素っ気ない態度や心が見えない対応に心が引き裂かれそうになることがあります。
たくさんの好きの気持ちを投げかけているのに、それが真っ直ぐ自分の手元には返ってこない。
相手があらぬ方向に投げたボールを必死に追いかけて、そこに優しさや思いやりがあることをやっとのことで見つける。
いつまでも真っ直ぐに返ってこないボールを追いかける日々は、自分が遊ばれているようで、大切に思われていないようで、相手が自分のことしか考えていないようで、そんな不安と虚しさが胸を締め付けます。
あらぬ方向に投げた優しさや思いやりをすべて辞めて、とことん私のことを突き放してくれる方がいっそのこと楽になれるのに。
という願いすら、心の片隅に生まれてくるかもしれません。
好きだけど彼と一緒にいたら自分がボロボロになっていく。
好きだからそばに居たい、でも好きだから辛い。
この葛藤に心をすり減らしてしまいます。
「彼のこともう諦めるわけじゃないけど、彼から少しの時間だけでも、距離を置いてもいいでしょうか?」と相談を受けることがあります。
自分の心がボロボロだけど、相手と少し距離を置いてしまうことで何かマイナスの影響が出るのも怖いのだと思います。
必死に頑張ってきた恋愛だからこそ出てくる不安です。
相手の状況やふたりの関係性について複雑に考えてしまいます。
熱々のお茶を注いで、手に持てないほど熱くなった湯呑み。
その湯呑みを持とうとして、「あつっ!!」と瞬間的に手を離すことがありますよね。
これは火傷しないための本能的な防衛反応と言っていいかもしれませんね。
シンプルに考えると、それでいいんですよね。
脳が本能的に「このままでは危険!」とシグナルを発しているわけですからね。
そのシグナルを無視して湯呑みを持ち続けても手が火傷するように心もまた傷付いてしまいます。
我慢すればするほど火傷も傷もひどくなります。
そこから回復する時間もたくさんかかってしまいます。
「誰かを愛すること」と、「自分を傷付けること」はイコールではなくて。
「誰かを愛すること」と、「自分を大切にすること」が同意義なんですよね。
心理学には言葉を覚えるのは簡単だけど、理解するにはややこしい言葉がありますよね。
罪悪感、無価値感、親密感の恐れ、、、、。
それらは自分が傷付いてもいい理由を見つけるものではありません。
それらの言葉を通して、相手を理解して(また自分自身を理解して)、自分を傷付けることなく相手を愛することが出来るようになるためです。
そこまで悩むということは、たくさん愛してきたんだと思います。
十分過ぎるほどに、相手を理解しようと、受け止めようと頑張ってきたんだと思います。
だからこそ、今は自分の心を大切にしていいと思いますよ。
自分を大切にすることが回り回って愛へと形を変えていきます。
複雑に考えすぎた頭も少し離れることで、シンプルに見えてくるものがあるかもしれませんからね。
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