目次
ありのままの自分らしさ
セクシャリティに関する記事を書いてきました。
セクシャリティとは、
自分の中にある《ありのままの自分らしさ》でもあります。
自分の中にあるものを、
抑圧したり、隠そうとしたり、過剰に演出したり、過小に評価したりすると
それが目の前の現実に問題となって浮かび上がってしまいます。
すべての問題はサイン
目の前の問題、
恋愛が上手くいかない。仕事の対人関係がしんどい。やりたいことが見つからない。
それがなんであれ、
問題とは、あなたに『もう自分らしく生きてみたら?』と囁いてくれているのかもしれません。
【問題の裏側に恩恵がある】と言われるのも、
そうゆうことなのかもしれませんね。
自分らしさを取り戻すと、
何もかもがストンと楽になると感じられることがあります。
自分自身を大きく見せても、また小さく見せても、
必要以上に肩に力が入りエネルギーを使ってしまいますからね。
そんなストンと楽になる体験をされたクライアントさんからメッセージをいただきました。
本当の意味を受け取れてなかった。
わたしは周りから「セクシャリティが高い」とよく伝えてもらっていましたが、その意味を頭では理解するものの、本当の意味では、ずっと受け取れていませんでした。
最近も、カウンセラーさんに「自分のセクシャリティの大きさを自覚するといいよ」と教えてもらいましたが、「???」。
「魅力的な男性に女性が近づくときに、抵抗や拒絶が出たり、冷たくしたり、素直に気持ちを表現出来なくなる。それの男女逆バージョンが起きてるんだよ。男性が素直になれなくなってるのかもしれないね」
そう言ってもらいましたが、頭ではわかるし、なんとなくそんな気もするけど、ピンとこないな〜という感じ。
むしろこの性質を呪ってしまいたい、そんなにいいものではない、という気持ち。これがなければ、もっと男性をうまく愛せるかもしれないのに。
わたしに起きていたこと。
例えば、
自分では普通にしていて、そういうつもりではなかったのに、側にいた男性がその気になってしまう。(え?どうしたの?)
なぜか男性がビビり、ひるむ。(なんで?どうしちゃったの?)
水商売の経験ありそう。(??ないですよ…)
スナックのママタイプだよね。(どういう意味?)
こういったことを、セクシャリティを受け取れていなかったわたしは「男を喰い殺してしまう」「なんだかよく分からないすごく恐ろしいものが自分の中にある」と感じていたように思います。
それが
の記事を読んでる内に、もしかしたら、自分のセクシャリティを受け取るってことができたかもしれないのです。
実は、自己認識が「『中性的(!)』な自分」で、セクシャリティというものは「ない」と感じていたのかもしれない、とまず思いました。
わたしは「ない」のに、なんで「ある」って近づいてくるの?
わたしは「ない」のに、あなたはどうして、わたしの側で「男」になるの?
という風に。
嫌悪感というよりも、びっくりして、戸惑う、という言葉の方がしっくりくる感じがします。
セクシャリティを抑圧して生きてきたわけではないと自分では思うけど、「ある」のに、「ない」という認識だったから、ズレがおこっていたのかな、と。(桑野先生どう思います?)
そうか、わたしってずっと「あった」んだ。
いままで一緒に生きてきたんだ。
そう感じると、ほんとにストンと「腑に落ちた」気がしました。
その体験は「わたしはすごいセクシャリティがあるんだよ!」と自分に言い聞かせることでもなく、雷に打たれるような衝撃でもなく、
あ〜、あったんだ〜。(にっこりほほえみ)
そんな、あたたかくふんわりした感じ。
そうすると、今までの経験すべてがつながっていく。
わたしは「ある」から、「ある」ってみんな近づいきてたんだな〜。
わたしは「ある」から、あなたは、わたしの側で「男」になってたんだね〜。
しょうがないよね〜あるし〜(フフフ♪)ってうれしい感じ。
これは、記事にあった
>『あら、ありがとう〜』
>とすらっと受け取ることも出来ます。
ってことかな。
いま、じんわり力が湧いてきて、世界に優しくなれるし、「ある」わたしを与えることができる喜びを感じています。
そしていままでの自分を、すごく愛おしくかわいいと思っています。
最後に、桑野先生いつも女性の味方の記事を書いてくれてありがとうございます。
桑野先生の言葉に救われる女性、たくさんいると思います。
これからもよろしくお願いします。
O.H様
迷ってきたから受け取れる
ありがとうございます!
本当に素敵な体験をされて、ブログを書いて良かったな〜としみじみ思います。
そして、何よりもクライアントさん自身が迷い、道にぶつかりながら、歩んでこられたのだと思います。
セクシャリティが「ある」のに「ない」!?
セクシャリティを抑圧しているとは思っていないけど、「ある」とは受け取れていないって感覚は不思議に思うかもしれませんね。
思春期以降にセクシャリティが高くなってくると、
自分だけがある意味、良くも悪くも特別なものを持っているという感覚が意識的にも、無意識的にも起こります。
それはまるで、
小学校の友達がみんなランドセルで学校に通う中で、自分だけエルメスのバーキンで通学するようなものです。
その時に、バーキンがどのようなものが知識的にも感覚的にもしっかり把握出来ていればいいのですが、あなたも、あなたも周りの友達も、「テレビや雑誌で見たことあるなんだか高級なバッグ」って感じだけですよね。
まして、「高級なバッグ」ってことにも気付かない人もいるかもしれません。
そして、その異質に思えるエルメスのバーキンを理由にいじめられたり、周りと違うと恥ずかしくなって隠そうとしてしまいます。
セクシャリティとは、自分自身もどうしていいか分からないし、周りの友達もその扱い方が分からないんですよね。
また、大人からも今までとは違う感覚で注目されるようになってしまいますよね。
それはあなたのセクシャリティの魅力、女性らしさ、大人になっていく美しさを見ているのですが、
あなたからしたら、
「今まで大人が私を見ていた感覚とは何か違う!!」
と感じてしまいますし、
あなたが湧き上がるセクシャリティに対して、
自己嫌悪がセットになってしまっている分、
セクシャリティを悪いエネルギーに感じてしまいますから、『男性や大人を私の悪いエネルギーのせいで、豹変させてしまった!』という感覚が起こります。
女性からの嫉妬も感じるようになると、
女性に対しても、『私の悪いエネルギーで彼女たちを豹変させた!』と思ってしまいます。
このセクシャリティというエルメスのバーキン、
わたしだけ持っているけど、
どうやらお母さんも持っていないのかな?
お母さんこのバッグ持ってたら私怒られる、、
お母さんがセクシャリティを抑圧していたりすると、ますます不思議な感覚を感じてしまいます。
でも、どこかにセクシャリティは素敵なものという感覚もあるわけです。
雑誌やテレビで見ていた憧れの女性がエルメスのバーキンを持っていてカッコよく美しかったように、
セクシャリティを解放して魅せている女性の姿に憧れをもっていたります。
「なんだか分からないエネルギー」「周りの目線や対応が違ってくる」「でも素敵な魅力を感じる」
そのような感覚が無意識で混ざり合い困惑してしまいます。
エルメスのバーキンを私だけもっている。
私だけが幸せに恵まれているような、
でも、持ってはいけないものを持っているような、、
周りの人に自慢したいし、これを持っていると男性が喜ぶかもしれない。
持っていない人が傷つくかもしれない。
男性もこのバーキンが目当てで、私のことは本当は興味ないのかもしれない。
その不思議な感覚が、
「ある」のに「ない」という感覚を作りだしてしまいます。
自分らしさの価値を受け取る
思春期から成長していき、セクシャリティがなんたるものか?それは少しずつ理解はしていきます。
しかし、
セクシャリティ(あなたらしさ、女性としての魅力)が、エルメスのバーキン、ダイヤモンドの価値があることを受け取れてはいないのかもしれません。
人はあなたの中にダイヤモンドのような価値を見ています。
しかし、自分にはそんな価値がないと思っていると、近づいてくる人は、あなたを騙してくるような詐欺師に思えてきます。
また、セクシャリティに対して過剰に演出しようとすることも、実はありのままのあなたの美しさを受け取っていなかったりします。
自分のセクシャリティを使って相手をコントロールしたい、自分を隠してしまいたいという気持ちの裏には、あなたの不安が隠れていますからね。
ちょっと自分の意識から外れて考えてみると、
『自分の中にあるセクシャリティのありのままの価値』を受け取れていないと、
実は、『周りの人の中にあるセクシャリティのありのまま価値』も受け取ることが出来なくなっていることがあります。
自分の中のセクシャリティについて、過小に評価していたり、過剰に演出しようとしていると、
周りの人のセクシャリティに対しても同じ評価を下してしまいます。
『あの人はセクシャリティが強くて、大人の色気なんて私にはない、、』
『私に見合うような、セクシャリティの強い男性はどこにもいない!』
という気持ちが出てきてしまいます。
なので、セクシャリティの高い男性や同性である女性にも近づけなくなったり、周りにいい男がいない〜という状況が生まれます。
あなたがあなたの中のセクシャリティを1番意識している時は、あなたが男性と対面している時なんですよね。
近づいてくる男性に対して、
その男性のセクシャリティ(男性性)を見ている時は、
あなたの中のセクシャリティ(女性性)が刺激されています。
自分自身のセクシャリティが「ある」のに「ない」と思ってしまうと、
男性が近付いてきて「ある」のに「ない」と思っているものが刺激されてしまうので、落ち着きません。
また、自分から男性に近づこうとしても、
「ある」のに「ない」と思っているものを、「あるように」見せるために頑張らなければいけないので、
自分らしさとは離れていってしまいます。
あなたがありのままのセクシャリティを受け取ることで、無意識に感じていたこの違和感や摩擦がなくなっていきます。
自分自身のありのままのセクシャリティを受け取ると、周りの人の中にもありのままのセクシャリティを持っていることを見つめることができます。
「私だけがこのワケの分からないエネルギーを持っていたんじゃなかったのね〜」
それに気付けます。
お母さんもセクシャリティについて否定的だったのかもしれませんが、持っていなかったのではなく、受け取れなかったのだということが見えてきます。
あなたの『ありのまま』を受け取ると、
周りの人の好意や気持ちを『ありのまま』受け取ることができます。
世界に簡単に優しく愛を
そのことに気付けるようになると、
頑張らなくても自分自身を簡単に優しく愛することができるようになります。
すると、
周りの人にも簡単に優しく愛を捧ぐことが出来ます。
愛することは、我慢と忍耐と気合いだ!
と思っている度合いだけ、あなたの心は窮屈さを感じてしまいます。
それは自分自身を愛することや認めることにも、
我慢と忍耐と気合いが必要と思ってしまうからです。
自分を好きになるためには、
特別な努力や試練が必要になってきますからね。
(その努力や試練が、難攻不落な恋愛やハードワークかもしれません)
あなたが世界を簡単に優しく愛することが出来たら、
あなたも世界から簡単に優しく愛されます。
そこに摩擦や競争、違和感という抵抗がなくなるからです。
そして、あなたは自由に楽でいられます。
メッセージに書いてあったように、
『いま、じんわり力が湧いてきて、世界に優しくなれるし、「ある」わたしを与えることができる喜びを感じています。
そしていままでの自分を、すごく愛おしくかわいいと思っています。』
という体験をたくさんの人に経験して欲しいなと思っています。
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