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罪悪感なんて、ただ愛に気付くサインでしかないから

「罪悪感がたっぷりでしんどいです」とカウンセリングでも相談されることがあるのですが、罪悪感なんて言ってしまえばただのサインなんですよね。

「罪悪感は全てマボロシ」という言葉もあって、罪悪感に隠した愛を受け取っていく、見つめていくことです。

「罪悪感が多すぎてしんどい!」という状態は言い換えると、

罪悪感は愛の居場所を教えてくれるサインなわけで、そのアラームがけたたましく鳴り響いて、そのアラーム音にテンパっているわけです。

目覚まし時計(最近ではスマホでセットする方も)がベットの下に入り込んでしまって、朝起きた時にめっちゃ慌てることないですか?

僕はよくベットの隙間のスマホを落とすので、アラームが鳴っているのに止められないで、あたふたします。

人生の出来事を愛から見るのか?罪悪感から見るのか?

鳴り止まないアラーム音に翻弄されている時は、どうしても罪悪感の物語を選んでしまいます。

罪悪感はみなさん触れたくない感情ですからね。触れられないからストップのボタンも押せません、アラームが止まらずに鳴り響いているから、どうしてもそっちに引っ張られてしまう。

でも、勇気を出して罪悪感に触れてみる。手を添えてみる。

すると、その下にある愛の存在を感じられるようになります。

今日はすごい抽象的な話になってますけどね。

「愛とか」語るのにちょっと恥ずかしい気持ちも出てくるかもしれません。

「罪悪感を癒すにはどうしたらいいんですか?」って質問に一言で答えるなら、自分の中にある愛を認めることです。

けたたましい罪悪感のアラームにテンパって、怒りや自己攻撃を発動して、さらに愛を隠そうとしますからね。

人は自分が愛ある存在として、自分を認めることに抵抗してしまいます。

あの人を傷付けたし、いつも優しくなれないし。

嫌いな人もいるし、好きな人に辛く当たってしまうし。

何の役にも立ってないし、必要とされてないし。

自分の中にある愛を否定してしまいます。

自分の中に愛があるとしたら、周りの人を傷付けることもなかったし、自分もこんなにも傷付くこともなかった。

愛したいのに、愛されたいのに、自らの内に広がる愛を否定してしまいます。

感情はミルフィーユのように何層にも、層になっていると言われます。その1番下にある層には愛しかありません。

でも、その1番下の愛を感じられない(感じたくない)から、怒りや悲しみ、寂しさ、恐れ、と様々な感情で蓋をしてしまいます。

こうやって説明だけ聞けば、「なんて不思議なことをしているのか?」と思うかもしれません。意味不明ですよね。

でも、人は合理的に生きるだけ生き物ではないみたいです。

さて、自分の中に愛があることを認めちゃいましょうか?

どうですかね。

この言葉を聞いてどんな感情、感覚が出てきたでしょうか。

「そんなわけない!」と否定する気持ち。

「ならなんで、いま幸せじゃないのよ!」と怒りたくなる気持ち。

「何言ってんの?」と無反応かもしれません。

どんな気持ちが出てきても大丈夫です。

でも、今日はその層を一枚だけめくってみましょう。

なぜ愛があることを認めようとすると、怒りが出てくるのか?否定したくなるのか?心をシャットダウンするのか?と。

言ってしまえば、愛なんてただ感じていればいいものなのです。

それで誰かに迷惑をかけることもありません。

でも、なぜ、その愛を感じることを否定してしまうのか。

なぜ?どうして?少しずつ層をめくりあげて、愛を感じることに意欲を持ってみてください。

自分の中にある愛を認めることができれば、罪悪感のアラームに惑わされることもないし、自分が必要とされる存在だと躍起になって証明することもありません。

ありのままの自分を受け入れることは、自分の中にある愛を認めることかもしれませんね。

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