赤ちゃんと売ろうとする男たち
自らの子を手放す母親
それを追う女性刑事
映画「ベイビー・ブローカー」はタイトルにあるように「赤ちゃんを売る」ことをテーマにそれぞれの愛の形を描いていきます。
人それぞれ顔のつくりが違うように、私たちの愛の形もそれぞれ違います。
そこにはマイノリティの愛の形もあれば、マジョリティの愛の形もあります。
見る場所が変われば、育った場所が変われば、
ある愛の形を「それは愛ではない」と思ってしまうかもしれません。
愛は形がないからこそ、その言葉に私たちは縛られてしまうことがあります。
ベイビー・ブローカーは
許す人、許される人がリレーのバトンを受け渡すように代わっていく物語です。
ここからは少しネタバレを含みます。
先日の記事で父親殺しのことを書きました。
父親という存在を乗り越えるためには、直接実の父親と対決する必要はありません。
社会の困難が父親代わりの乗り越える壁となって出現していくからです。
それと同じように、私たちは許す相手に、許してくれる相手に、時を超えて、場所を超えて出会うことがあります。
ベイビー・ブローカーには、ドンスという男が登場します。
ドンスはかつて母親に捨てられ、ずっとその母親が迎えにくるのを待ってました。
その願いは叶えられぬまま大人になります。
ドンスは愛する子供を手放す決断をするソヨンに出会います。
そして、彼女の抱える葛藤と苦悩を知ります。
ドンスは、ソヨンと関わっていく中で、
いつまで待っても自分を迎えにくることがなかった自分の母親を例え許すことが出来なくても、
痛みを抱えながらも愛する子を手放す決断をしたソヨンを許していきます。
目の前にいるソヨンを許すことで、
ドンスは自らの母親もまた許すことが出来たのかもしれません。
ソヨンもまた愛する子を手放す自分自身を許すことが出来ませんが、ドンスはそれを許してくれます。
許す相手が、許される相手が代わっていく。
これは私達の人生で、日常的な奇跡として毎日のように起こっていることではないでしょうか?
愛も、許しも、形がないからこそ葛藤し苦悩します。
しかし、その意味を、価値を知っているからこそ、葛藤し苦悩するのではないでしょうか?
愛されない悲しさを、愛することの出来ない悲しさを、ベイビーブローカーは繊細に物語の中で語りかけてくれます。
私たちは自身が悲しさを抱えるからこそ、悲しさを抱える人を愛することが出来ます。
私たちは自分を許すことが出来ない痛みを知っているからこそ、相手を許すことが出来ます。
許せない自分を許してくれる人がいて
愛せない悲しみを理解してくれる人がいて
私たちは足りないものを、出来ないことを、補いながら、今日も愛の形を模索していくのかもしれません。
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