引きこもり生活を抜け出して外に出るようになった頃に、買ってもいないのに宝くじで1億円当たったらどうしよう?と気付いたら考えている時期があった。
買ってないので絶対に当たるわけはないのだけど、「何にいくら使うのか?」「誰にご飯をご馳走しようか?」と取らぬ狸の皮算用をかます。
誰に聞かれたわけでもなく、通勤電車やお風呂で妄想にふける。
それくらいビッグボーナスがなければ、人生のプラスマイナスが清算できないと思っていた。だから一発逆転した後のストーリーが慰みになっていた。
「人生の辻褄を合わせてくれい!はよ!神様!」
失ったものを取り戻すために、凹んだ穴を埋めるためにビックでハッピーなイベントが必要だった。
それから十数年して、妻に「りょう君はチョロい、チョロすぎる」と言われている。
自覚してないし自慢ではないけれど、「幸せのハードルが低い、沸点が低い。」そうだ。
どれくらい低いかと言うと、妻の先の発言「りょう君はチョロい、チョロすぎる」を褒め言葉としてめっちゃ喜んでいた。
妻曰く「別に褒めてないよ」だ。
でも、「怒りの沸点より幸せの沸点が低い方が光熱費もお得じゃない?」と思うので、やっぱり褒められているような気がするし、妻にそのつもりがなくてもコミュニケーションは受け取り方が自由なのだ。
最近は「もしも宝くじが1億円当たったら?」の妄想はしなくなった。
不幸や問題に足を突っ込んでいる間は、一発逆転ホームランのシンデレラストーリーを求めてしまう。テレビや映画でも分かりやすいドラマティックなストーリーが都合がいいのかもしれない。
でも、ホームランを狙って大振りすれば空振りの確率も上がるし、絶好の球がくるまで見逃し三振をしてしまう。
使い道をあれこれ考えていた宝くじは買ってない。これは空振りなのか?見逃し三振なのか?そもそもユニフォームも着てないし球場にも行ってない。
なぜその妄想をしなくなったのか?
幸せになったからホームランを狙わなくなったのではなくて、ホームランを狙わなくていいと気付いたからだ。
きっかけはプンスカなやり取りだった。
ある日、なんとなく話の流れで将来の夢みたいな話題を兄貴(長男)としていた。その頃は夢や目標を持つのはえらい!旋風の真っ只中にいたので、ビックマウスよろしく色んな夢や目標を鼻高々にしゃべっていた。
そこにはすけべ心があった。辛い時期を乗り越えて目標や夢を掲げている弟を褒めてくれるだろうと。
だが、兄貴(長男)は何のリアクションもなかった。
あれ?見えてる?
俺には兄貴が見えているけど、兄貴には俺が見えてない?声も聞こえてない?
神隠し的なやーつ?
俺と兄貴の神隠し的なやーつ?
と不安になっていると、
兄貴がぼそっと
「それがお前の幸せ?」
つぶやいた。
えー!!
腕白なすけべ心は立派なことを言えば褒められると思っていた。それは決して覆らない方程式なはずなのに。
スタバに行って「カフェラテください」と注文したら「ダメです!」と言われたような理解不能なショックが全身を駆け巡る。
ショックの電流は身体をスケルトンにして、骸骨を透けさせていた。もちろん頭はアフロである。
兄貴は一言呟いて自分の部屋に入っていった。
アホ兄貴!バカ兄貴!
血も涙もない男め!
人は大きなショックを受けると、それを感情のエネルギーに変換していく。男兄弟の上下関係はとても厳しいので、決して口にはしない。
半沢直樹が流行る前から桑野家は倍返しだ。ただし兄→弟への一方通行のみ。
弟の気持ちも分からねぇやつめ!と烙印を心のスタンプカードに連打してその日は終わった。
点数の悪いテストを丸めて引き出しの奥に隠すタイプではなかったけど、行き場のない怒りはくしゃくしゃに丸めて飲み込むタイプだった。
でも、ちゃんと飲み込めてない。魚の骨が喉に引っかかるように、兄貴(長男)の一言がチクチクと痛む。
「ショーシャンクの空に」の主人公がシャバの空気を満喫したように、引きこもりを脱出して「さぁこれから!」気合いやる気充分なはずなのに、ガス欠ばかり起こしていた。
やる気は空回り、気合いは暖簾に腕押しである。
ブランクあるから社会の空気に馴染むのは時間がかかると思っていたがガス欠は続く。タンクに穴が空いていて、しかもだんだんとデカくなっていく。
「思ってたんと違う!」
これはカウンセリングを受けたり、心理学を勉強したての初期にブラジルまで叫びたくなる言葉の一位だ。
無敵モードでこれからはガンガン進める!と思ったのに、見えない壁にガーン!とぶつかる。
マリオのスターモードで行けると思っていたのに、男梅のような渋い顔の自分がいる。
ふと、兄貴の言葉か脳内でエコーする。
「それがお前の幸せ?」
あら?俺もしかして、
よく分からない、誰が決めたのか?も分からないもの追いかけて疲弊してない?
お金持ちになる!とか、家を建てる!とか、雑誌の表紙を飾る!とか、鼻高々に語っていた目標は本当に俺の幸せか?
「今じゃ雑誌のカヴァー」と流行りの歌からインスパイアされて、表紙を飾る!とか言っていた。
その目標が悪いわけじゃない。
今だってお金も欲しい!家も欲しい!雑誌の表紙の依頼は来なそうだけど、オファーが来るなら照れながらもやってみたい!
でも、当時は自分の穴ボコを埋める為に分かりやすい幸せを羅列していただけだった。
お金持ちになるのが目標だから、少ない稼ぎでは全然満たされないで「何やってんだ俺!」だったし、家を建てた同級生を見ては「何やってんだ俺!」だった。
ガス欠の原因は「何やってんだ俺!」と自分で蹴飛ばして、タンクに穴が空いていたからだ。
「ほら?おれ立派だよな?」と分かりやすい旗を目標に追いかけて、迷子になっていたのである。
灯台下暗し?いや、デカい旗で迷子だ。
「それがお前の幸せ?」
きっとあの時、本当に神隠しにあっていた。立派そうな夢を語る弟は、兄貴から見たら誰かよく分からなかったのだ。
「おまえらしくないぜ!?」
と言っていたのだ。
そりゃそうだ、穴ボコを埋める為に、誰かが認めてくれるような目標ばかり並べていたから。
兄貴(長男)の優しさや愛情はちょっと分かりにくい。想いが強くなるほど、その想いで言葉を鋭利に削ってしまう刀職人なのだ。
以前、小さな桜の木を買って、花が咲くころに幸せが訪れますように!と願掛けをしていたら、「幸せを待つな!」と一蹴された。
心理学を学んでいると、超自立型兄貴だね。と分かるのだか、優しさが丸く伝わらない。10年くらいして、その話になり兄貴(長男)のエールと判明した。
話を戻す。
ガス欠の理由は借りてきた幸せを追いかけていたと分かってから、「それは本当に欲しいもの?」「大切にする必要がある?」「それは本当に自分の意見?」と問いかけるようになった。
取りこぼさないように大事そうに抱えているものが、よくよく考えたらそんなに必要なかったことはたくさんある。
お金持ちでもないし、家も建ててないし、もちろん雑誌の表紙も飾ってない。
でも、幸せを感じることができるし、ガス欠も起こしてない。
幸せのハードルはきっと低い。沸点も低い。
「そんなことで喜んじゃって」と言われるかもしれないけど、自分が喜べるなら誰かに認められる必要なんてない。
俺の幸せは俺が決めたらいい。
遠慮も、謙遜も、誰かの目を気にしなくていい。
1億円が当たらなくても、小さくても自分が決めた幸せが残りの人生で1億回見つけられた方が幸せかもしれない。
P.S
神様
いや、でも1億円が当ててくれるなら貰います。
宝くじ買ってないけど。
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