「人間らしさ」を捨てて(見ないようにして)
「自分らしさ」を求めると極度に理想化された自分らしさになってしまいます。
理想化され過ぎた自分らしさを追い求めてしまうと、その重みにぺしゃんこになってしまいます。
「自分らしさ」はよりイキイキと生きていく為に、人生に潤いを与えてくれるものです。
しかし、
理想化され過ぎた自分らしさは、自由を奪い、制限され、より窮屈になってしまいます。
お腹が空けば、眠たくもなるし、怒りたい時も、寂しい時も、サボりたい時も、優しくなれない時もあります。
嫌なもんは嫌だし、好きなもんは好き。
私たちは人間ですからね。
その気持ちや感情は否定しなくていいんですよ。
例えば恋愛で
「彼とうまく行くためには何でもします!」と言われることがあります。
「それくらい本気です!」
ということなんでしょうけど。
僕はちょっとそこで深呼吸をしてもらうというか、「その気持ちは分かりますが、それって本当に幸せですか?」とクライアントさんのその気持ちにブレーキをかけて質問することがあります。
もちろん、誰を好きになっても自由なんですけどね。
全身傷だらけで、フルマラソンにチャレンジするような感覚がするのです。
それは果たして喜びなのでしょうか?罰なのでしょうか?
劣等感や自信のなさがあると、私たちは背伸びした理想の「自分らしさ」を作り上げてしまいます。
それはある意味、自分を守るための防衛の鎧でもあるんですよね。
でも、ずっと鎧を着ていたら、重いですからね。
ご飯は食べにくそうですし、なかなか寝づらいですよね。
寝返りを打つたびにガッシャン、ガッシャン言いますからね。
そう心に纏った理想化されすぎた自分らしさも、あなたの自由を奪っていきます。
そして、疲れていきます。
「これがわたし!」って自分らしく生きていてエネルギーが循環しているなら、その道を思い切って進んでいいと思います。
しかし、もし「これがわたし!」と思って進んでいるつもりが、ネガティヴなエネルギーに飲み込まれてパワーが不足しているのなら、ちょっと足を止めてみる必要があるかもしれません。
本当は嫌なことをやろうとしてませんか?
必要以上に自分を追い込んでませんか?
理想化されすぎた自分らしさは、一見素晴らしいことに見えるんですよ。
だからこそ、頑張ってしまいます。
でも、結局そのプレッシャーに追い込まれてしまうのです。
人間らしく、自分らしく、等身大の自分で。
それが大切なんですよね。
桑野量の予約状況やカウンセリングのご利用は以下のボタンよりご確認ください。