人を許すことは難しいことがある。
許すことが相手との競争に負けると思っていると、難しくなる。
そもそもなぜ許すかと言えば、何らかの被害を被っているわけで、「こっちが被害にあっているのに、なぜ私が負けてあげなければいけない!!」とさらに怒りが出てくるからだ。
「ゆるし」の本質は相手に価値をゆずることではない。
自分の中にある「怒り」を手放していくことだ。
なぜ、勝ち負けになるのか?
ここが厄介なのだけど、競争心があれば、さっきも言ったように「何で私が負けてあげなければ!」と怒りが出てくる。
「ゆるし」の本質が怒りを放棄することとは、全く別の方向に進んでしまう。
むしろ、許せない方向へと怒りの熱量が上げていく。
「もう許してあげてもいんじゃない?」の誰かのアドバイスに腹を立ててしまうのも、自分が負けてあげることのように感じるからだ。
相手をゆるすことよりも
なぜ、ゆるすことが負けたのように感じられるのだろうか。
相手を許すことと同じくらいに難しいことがある。
それは自分をゆるすことだ。
自分を受けれいることが何よりも難しいことがある。
自分への不満や不安を書き並べてたら、何時間もかかるかもしれない。
それくらい、どんな自分も許して受け入れることは難しい。
ゆるしてあげるのは
自分をゆるし、受け入れることができないのに、相手をゆるし、受け入れることができないのは当たり前かもしれない。
自分がご飯を食べられていない状態で、ポケットにある食べ物を誰かの為にあげることは、美しいエピソードのように誰もが思うけれども、それが実際にできるか?は別問題だ。
それならまずは自分がご飯を食べてから、相手に分け与えてあげてもいい。
相手をゆるすことができない時は、本当は受け入れてほしい自分がいる。
その自分を受け入れてあげることが、不毛な怒りにさようならをする方法である。
4月15日(火) 19:00〜
Talk Session 〜女性性とビジネスと主人公〜
4月29日(火・祝日) 10:00〜
ヤドカリの会 〜使命を生きる〜
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5月13日(火) 19:30〜
Talk Session 〜セックスと孤独〜
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