幸せになれるパートナーを選べない
例えば三人の男性からあなたが恋のアタックを受けているとします。
A「妻がいて、子供も2人いる会社の上司」
B「飲み屋で知り合いになった遊び人で有名な男性」
C「妻もいない、遊んでもいない、仕事とあなたを大切にしてくれそうな誠実な男性」
どうでしょうか?
誰を選びましたか?
「迷わずCに決まっているでしょ!」
と思われるでしょうが、現実の世界ではそうとは限らないようです。
「頭ではダメだ!いけない!」と分かっていても、AやBを選んでしまうこともあるんですよね。
現実にはもっと様々な要素が絡んで複雑にかもしれませんが、単純に何の障害のない相手からアタックを受けていて、『顔もイケメンだし、性格もいいんだよな〜』と思っているのに、その人を選べないことがあります。
そして、
『Aの上司は、奥さんと上手くいってないみたい、、、彼の孤独は誰も分かってあげてないのよ、、
私ならあの上司も甘えてくれるの』
とか
『Bの彼はきっと過去に女性との関係で傷付いたのよ。もしかしたら、お母さんの愛がもらえなくて、何をしても許される無条件の愛を求めてるのかしら?
私ならその無条件の愛を与えることが出来るはず、、』
マザーテレサのような愛にやる気を見出してしまいます。
もちろん、それはそれで素敵なことかもしれませんが、、、、
わざわざ、その男を選ばなくて良くね!?
と
ツッコミをいれたくなる恋愛をしてしまうことがあります。
本人もどこかで、その恋愛の歪さに気が付いてはいるんですよね。
しんどいし、関係を進めようとしても、彼にかわされる。
浮気相手やワンナイトの相手として都合のいい女として扱われているような気もするけど、彼の心の痛みがチラホラ目につく。
ここで彼から離れてしまうと、
雨の中で捨てられた子犬を見て見ぬ振りして、置いていくような罪悪感が出てくる。
『この罪悪感を味わうなら、自分が傷付いた方がいいのかな?』
『彼が喜んでくれるのなら、私が我慢することで人の役に立てるかな?』
『どうしようもない人生だったけど、彼に与えられものが私にあった。』
誰かを愛すること、
それは目の前の悪い態度やダメな態度ではなく、
相手の本質、その行動の奥に隠されたことを見てあげることかもしれません。
しかし、
誰かを愛することは、
あなたが傷付いても我慢することではないし、
あなたが粗末に扱われることを容認することではありません。
もちろん男性には男性の事情や過去があります。
しかし、それは男性が向き合うべき課題であり、決断と選択は男性がしなければいけません。
そこにあなたの愛の協力は必要になる時はあるでしょう。
しかし、あなたがその為に傷付いていい理由はどこにもありません。
もし、彼をその問題や課題から楽にしてあげたいのなら、まずあなたが彼との間にある問題から楽に自由になることです。
愛と喜びで彼を愛するならいいですが、
我慢と犠牲で彼を愛して苦しいのなら、
あなたが手放す課題があるのかもしれません。
あなたの自己イメージは!?
この恋愛にハマってしまうタイプは、アゲハチョウタイプが多いんですよね。
アゲハチョウタイプは男性にモテますし、セクシャリティを解放して表現することも出来ます。
周りの人から、『恋愛で困ったことないでしょ〜』と
言われたりします。
過去の失恋の痛みや、家族との関係で傷を背負っています。
だから誰か一人を信頼することや男性を信頼することが怖いのに、
何故か上手くいかない男性の元へヒラヒラと舞い降りてしまいます。
逆にあなたをまっすぐに愛してくれる男性からは、ヒラヒラと飛び立っていきます。
自分の恋愛は上手くいくはずがない。
誰かに本当に心から愛されたい!
この葛藤する二つの想いが安心する宿り木(男性)に落ちつくことを許さないのです。
ちょっと矛盾した行動に思えてしまいますが、、、。
しかし、アゲハチョウタイプの女性はここで苦しんでいます。
セクシャリティが高く、恋愛に慣れているように見えて、心の中はピュアな少女がいます。
酔った勢いで好きでもない男性とキスをしてしまった。
妻子ある男性に帰り道を送ってもらうだけだったのに、、、。
気付いたら上司と頻繁にプライベートで会ってしまっている。
そんな経験をする度に心の中の少女が傷付き、
さらに男性不信が高まりと女性としての価値を見失い、自己嫌悪を増してしまいます。
アゲハチョウタイプの女性は、
心の中に峰不二子(ルパンのキャラクター)ように女性性が高い資質と、アルプスの少女ハイジのような純粋でウブさを兼ね備えています。
その2人(ふたつ)の素質が仲良く手を繋げればいいのですが、、、そうではないようです。
自分が汚れているというイメージを浄化して手放す
何故、愛されることから逃げてしまうのか?
そこには、『自分は汚れた存在だ』という自己イメージが隠れているかもしれません。
もちろん、そんなことは誤解ですし、正しくはありません。
その自己イメージが、障害のない男性より上手くいかない相手の方があなたを落ちつかせてしまいのです。
これは恋愛だけではなく、
『いつも部屋が汚れていて、片付けなきゃと思いながらも、どこかこっちの方が落ちついている自分がいる、、、』
『お風呂に入るのが嫌で、2~3日入らない』
『寝不足や暴飲暴食で自分をいじめてしまう』
そのような行動に出てしまうこともあります。
『汚れてしまった私』には、
白馬の王子さまも、キレイなお城も、くつろげる空間も似合わないのです。
心の中にある自己イメージを現実世界に写し出してしまうのです。
手のかかる男性、汚い部屋、疲労と苦痛、
それが『汚れてしまった私』に似合うと思い込み引き寄せてしまうのです。
何度も言いますが、
あなたが汚れてしまっているというイメージはまったくの誤解です。
これは心ない元カレの一言で、そのイメージに縛られ続けてしまうこともありますし、
家族の仲が悪くて、その責任と原因を一人で抱えてしまったのかもしれません。
その自己イメージを現実世界に作り出してしまい、あたかも自分が汚れてしまっているかのように誤解していきます。
その自己イメージは過去の痛みとセットになっています。
アゲハチョウがヒラヒラと飛び回り、
安心する宿り木を見つけることが出来ないのは、
その汚れてしまった自己イメージがバレてしまうかもしれないと怖れてしまうのです。
また自分が傷付いてしまうんじゃないかな?
この汚れで男性を傷付けて豹変させてしまうかも?
たくさんの怖れを抱えて空を舞っています。
あなたがどう生きてきたとしても、何をしてきたとしても、決して汚れてしまったということはありません。
本当にあなたが愛を与えるべき相手は、あなた自身かもしれませんよ。
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