やっぱりセクシャリティの話題は気になる!?
昨日セクシャリティの記事が良かったみたいで、ブログのアクセス数もいつも以上に伸びました!
『気になるけど、どうしたらいいか分からない』
『セクシャリティなんて今さら私には関係ない』
気になるんだけど、、
後ろ髪を引かれるというか、足を引っ張られるというか、なんだか落ちつかない。
そんな方もいらっしゃるかもしれませんね。
カウンセリングではこのセクシャリティをテーマに扱うことは少なくありません。
女性性、魅力、自分らしさと深く結びついていますからね。
その反面、ブログなどでは今までセクシャリティをテーマに扱うことはあまりありませんでした。
女性カウンセラーが女性に向けてセクシャリティについて語ることはありますが、男性が女性に向けてセクシャリティを語る場面は少ないようです。
それくらい繊細なテーマでなんですよね。
でも、反響が大きくなれば、
男性カウンセラー・桑野量が語る女性のセクシャリティ講座なんてのも出来たら面白いですよね、
皆さんも、
男性が女性のどの部分にセクシャリティを感じているか?など、男性目線のお話が聞きたいかもしれません。
これからの僕のテーマにしときますね!
で、昨日の記事に早速メッセージをいただきました!
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今日のブログめっちゃよかった✨✨✨
セクシャリティ開いてきたときに先に『お前じゃねぇよ的なメンズ』とか寄ってくるやん?
そのときにめちゃくちゃ嫌悪感が出るんよ。
「どこ見てんのよ‼️」みたいな。「女として見るなや、ボケが‼️」みたいな。
めちゃくちゃ気持ち悪い🤮
女として見られることへの嫌悪感。
そこの乗り越え方を知りたい。←今そこ真っ只中な人🤦🏻♀️
怒ってるわ〜燃えたぎってるのよ🔥
今まさに気持ち悪さに負けて再び女として生きることを閉じようとしている‼️これ繰り返してる‼️
(A様)
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絵文字のポップさに誤魔化されてますけど、男性が聞いたらかなり辛辣な針に刺されるようなコメントが並んでいますね、、、。
しかし、
女性は「セクシャリティ」と「自己嫌悪」がコインの裏表のように表裏一体で感じられる方も多いようです。
先程セクシャリティを繊細なテーマと言ったのも、この自己嫌悪が刺激されてしまうことがあるからです。
何故セクシャリティは自己嫌悪と結びつくのか?
昨日の記事でも少し触れましたね。
思春期に遭遇する何やら分からぬエネルギー。
それをどう扱っていいか分からないので、隠そうとしてしまいます。
両親との関係や家族の雰囲気にもよりますが、セクシャリティという話題はタブーにもなりやすいですよね。
そもそも自分の中に起きている変化や湧き上がってくる女性性のエネルギーを、母親に素直に聞いたらいいものです。
これは日本の文化的な背景が影響していることもありますね。東南アジアのある国では、毎朝朝食の時にセクシャルな話題が家族で上がるほど、抵抗のない文化もあります。
思春期にセクシャリティのエネルギーに遭遇する頃、私達は他者と自分を比べるようになります。
また、女性であることをより認識して意識するようになるので、男性とも比べていきます。
身体的な変化から
『自分がどのような大人のカラダ(女性)になるのか?』それが気になるのです。
これが心理的な変化にも影響していきます。
自分と他者を比較することで、劣等感を抱いたり自己否定というネガティヴな感情が生まれていきます。
(もちろんポジティブな感情も生まれますよ)
(※この比較は、同級生ばかりではなく、無意識に母親や兄弟姉妹、父親、など家族ともしています。
「母親が全然、お化粧とかオシャレを許してくれなくて、、、」等が関係していたり、、、)
すると、
女性として成長していくことで
(セクシャリティを感じていくことで)
自己嫌悪を共に感じてしまうわけです。
また、自分の身体つきや月のサイクルを変えてしまうエネルギーですから、それを抑圧しているウチに、
『何だかよく分からないとてつもない大きいパワーがあるんじゃないか?』と、
見て見ぬ振りをするだけ、そのセクシャリティのエネルギーがどんどん大きくて手に負えないものと感じてしまって、不安や恐れとも結びついていきます。
オバケや幽霊と同じですよね。
怖い、怖いと見て見ぬうちに、頭の中でイメージが膨れ上がってしまうものです。
街を壊してしまうゴジラのようなエネルギーを持ってしまったように感じられて、それがセクシャリティの解放への恐れに繋がり抑圧してしまうことにもなります。
もちろん大人の女性への憧れもありますから、思春期のセクシャリティのエネルギーが悪いことばかりに影響を与えるワケではありません。
自分を否定した度合いだけ、そこに罪悪感が膨れ上がる
セクシャリティ(色気)と自己嫌悪がセットになってしまう理由に思春期の心理的背景を説明しました。
これもザックリ流れを説明したので、一つ一つもっと深くお話出来るテーマです。
※ここからはセクシャリティの後に()で意味を補足してます。文意に即して()は変化させてます。
『女として見られることが気持ち悪い』
これは自己嫌悪が刺激されるからという理由で説明も出来ますし、もう一つ罪悪感という側面からも説明出来るかもしれません。
自分が女性性(セクシャリティ)を否定して粗末に扱ってきた度合いだけ、そこに罪悪感が生まれてしまいます。
女性性(セクシャリティ)は生命力や自分らしさ、魅力、個性でもありますから、
自分の人生に絶望した時に、
その自分らしさをひどく責めてしまいます。
『どうしてこんな風に生まれてしまったのか?』
それは、絶望から救いを求める声なのですが、同時に自分らしさというセクシャリティを呪う言葉にもなってしまうことがあります。
それは思い込みであり、勘違いであり、エゴの罠であるのですが、そこから抜け出す前で自己否定の言葉が真実であると思ってしまうのです。
《自分らしさ》
それが失敗作であったかのように自分自身で、そのセクシャリティ(自分らしさ)を否定してペシャンコに扱ってしまいます。
失恋や離婚、イジメを経験して、
望んでそうしたいわけではないのに、自分自身にムチを打ちつけてしまいます。
心の中だけではなく、
現実にも過食や自暴自棄となって、自分の心やカラダをまるでモノを扱うように傷付けてしまうこともあるかもしれません。
その過去が癒されて、
(自分のセクシャリティを粗末に扱うキッカケになった出来事が癒されて)
さぁ、自分自身を生きるぞ!
となってセクシャリティが解放されていきます。
そこで、セクシャリティを自分自身で傷付けていた罪悪感からそこにストップをかけてしまうのです。
セクシャリティが解放されたからといって、
意識していない男性にあなたが注目されたからといって嫌悪感が出て来る必要はありません。
『あら、ありがとう〜』
とすらっと受け取ることも出来ます。
何故、そこに嫌悪感が出て来て、気持ち悪くなるか?
それは自分で自分のセクシャリティ(自分らしさ)を傷付けていた過去に、
『自分がどのような目をして、自分のことを見ていたのか?』
それが異性の視線や想いに投影されてしまうのです。
『あの時、私を大切に扱ってくれなかったくせに!
今さらそんな目で見てくれても遅いよ!
あの時に大切に扱ってくれたら、ちゃんと私を見てくれたら、私を信じてくれたら、愛してくれたら、、
こんなにも傷付くことはなかったの、、!
どうしてー!!』
そうやって、自分自身を責めている度合いだけ、
その罪悪感が異性の目を通して刺激されてしまうのです。
その罪悪感から目を背けたいので、
『怒り』というエネルギーを男性に使ってしまいますが、その内面には自己嫌悪と後悔、罪悪感がぐるぐると駆け巡って気持ち悪くなってしまいます。
少しややこしいですね。
つまり、昔粗末に扱っていたセクシャリティ(色気や女性性)を今頃になって、自分の魅力として大切に扱うことに罪悪感が生まれてしまっているのです。
メッセージ中にある
『再びオンナとして生きることを閉じてしまいたくなる』
これは、かつて自分のセクシャリティを粗末に扱い傷付けてしまった自分には、セクシャリティを大切にする資格なんてないと自責の念から罰してしまっているのかもしれません。
それでも許し続ける
あなたが過去、人生に絶望してしまった度合いだけ、その罪悪感は強く大きいものに感じられてしまうかもしれません。
しかし、
その罪悪感はエゴの声のトラップであり、幻想にしか過ぎません。
あなたが過去に自分を粗末に扱ってしまったこと。
それを許し続けることです。
そうなるには仕方のなかった理由があるでしょう。
そこには、誰にも訴えることの出来ない寂しさや悲しみがあったでしょう。
それを許し続けることです。
うまく全てを許すことが出来ない自分も、
また許してあげてください。
あなたが求めていたのは、自分を責め続ける鞭(むち)でしょうか?
誰かを憎み自分をも呪い続ける言葉でしょうか?
きっと、そうではありません。
あなたを包み込む安心感を、
どんな自分でも受け止めてくれる許しの光を、
あなたは求めていたのではないでしょうか?
あなたの痛い部分に、
初めはチクッとするかもしれませんが、
安心感という優しい毛布を、
許しというあたたかな許しの光を捧げてくださいね。
あなたがあなたらしく生きることを誰も罰しません。
あなたがあなたを傷付けた過去を誰も罰しません。
あなたはあなたらしく生きていいのです。
あなたはあなたを愛していいのです。
もう暗い洞穴に隠れて閉じこもる必要はありません。
あなたの美しさが世界をまた照らしてくれるのです。
あなたの美しさを誇ってくださいね。
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