自立を手放すことは、自分の限界を受け入れることでもあります。
でも、これがなかなか難しくて周りに人がいるのに孤独を感じたり、パートナーや仲間がいても愛を受け取れなくなります。
自立して生きてきた人が、愛を受け取れなくなってしまうのは、すべて自分で判断して、行動して、勝ち取ってきたからです。
「自分の限界を受け入れてしまえば、そこで終わってしまう」
そんな感覚があるんですよね。
友達がいても、家族がいても、恋人がいても、どこか気を緩めることができません。
感謝もしているし、助けられていることも分かっている。
だけど、最後の、最後で、「ゆだねる」ことができません。
それは自分の限界を受け入れることができないからです。
このような超自立の人には自分の限界を受け入れる強制的なイベントが発生します。
病気や怪我、仕事での理不尽な要求、家族が巻き起こす事件。
まるで畳み掛けるように、次々と精神力も体力も削るようなイベントが起きていきます。
でも、超自立ですからね。
「私がなんでもできるようになれば!乗り越えられる!」と、限界を受け入れるよりも、限界を乗り越える選択と生き方をしていきます。
運命のようにして試練が降りかかってくるように思えますが、自らの選択によって試練にぶつかりに行っているとも言えるわけですね。
「私がやらなければ誰がやるのよ!」
「人生そんなにあまくない!」
と、自分から背負っていきますからね。
でも、周りを見たわせば、のらりくらりと、うまく適当に生きている人を見つけます!
「私も、あんな生き方でいいのかも?」とどこかで思うのですが、「あんな生き方になってたまるか!!」と怒りと共に中指を立ててしまいます。
超自立の人の原動力は「怒り」でもあるわけですね。
みんなの前ではニコニコ笑っていても、腹の中では中指を立ていることも。
職場やグループの中に、常に嫌いな人(むかつく人)が出現します。怒り続けなければ原動力を失ってしまうからです。
なぜ、それだけ自分の限界を認めるのが嫌なのか?
そこには【無価値感の絶望】が隠れています。
自分の限界を知ることで、「自分には価値がない」と、かつて味わった絶望の地獄へと堕ちていく感覚がするのです。
そうです。限界を受け入れられないのは、過去の絶望から逃げるために走り続けている必要があるからです。
止まってしまえば、限界を認めてしまえば、過去の絶望に追い付かれてしまいますからね。
それは、過去の絶望に囚われ続けているとも言えます。
本当に過去から解放されるためには、その過去の絶望と向き合う必要があります。
かつて愛されないと思い込んだ自分を、目の前の人を信頼して差し出す勇気です。
自分の限界を受け入れることは、それまでのやり方を手放して新しい選択肢を手に入れることです。実は可能性を広げることなんですよね。
過去の絶望から閉ざしてしまった未来の可能性を見つけていきましょう。
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