ブログをリニューアルする前も後も、過去の記事を読み直してはリライト作業をしています。こんなにも誤字脱字の多い記事なのに、いつも読んでいただきありがとうございます。
その都度読み返しているのですが、脳内で勝手に正しく変換されて読んでしまってます。本を校閲する方も、この世には完璧な本はないとおっしゃっていて、何度もチェックしても見落としがあるようです。
思い込みから見落とさないように
「プロでも見落とすなら、、、」と甘えたい気持ちにもなりますが、それくらい僕らの心や脳は思い込みを発動させるようです。
活字として何度も読み返せる本でも思い込んで見落とすことがあるのなら、見えない他者の気持ちはもっと思い込みも、見落としも発動します。
だからこそ、コミュニケーションは何度も伝えて、何度も確認して、決して奢らずサボらずやっていきたいと思います。
ブログと検索エンジンについて
さて引越し作業ですが、旧ブログ記事の半分もまだ引っ越しできてません。
記事をコピべするだけならすぐに完了するのですが、頭を悩ませる問題に検索エンジンとの関係があります。少し裏話的な内容になっていきます。
どんなにいいことを書いても、グーグルの検索にヒットする書き方でなければ、検索しても記事は表示されません。グーグルに記事として「良」と認められることで、キーワードで検索された際に表示されるようになります。
皆さんも調べ物をするときは、「福岡 居酒屋 おすすめ」など、あるキーワードを打ち込んで、表示されたページを上位からチェックしていきますよね。
グーグルは教科書のような書き方を好む傾向があるので、僕の好きなポエムのような記事とは相性がよくないんですよね。
今回の記事のタイトル「きかん坊とブログのお引越し」ではグーグルに登録されにくいのです。絵本のタイトルのようで、記事の内容がタイトルからすぐに分かりませんからね。
旧ブログは?
グーグルで検索したらページが表示されるのか?自分で調べることができるのですが、旧ブログでは1500ページ中、検索で表示されるのは400ページしかありませんでした。
3分の1は、検索されてもヒットされないのです。
僕のブログを知っていて、過去の記事を遡れば読むことが出来ますが、膨大にありすぎて探すのも苦労すると思います。
お引っ越し中にきかん坊が暴れ出す
ここで僕の「きかん坊」が発動します。
「きかん坊」とは方言になるのかな?言うことを素直に聞かないワガママっ子です。
教科書のような書き方をすればグーグルに登録されて表示されやすくなるけど、教科書のように書きたくない「きかん坊」が僕の心の中にいるのです。
「きかん坊 in my heart」なわけです。
正確な情報を整理して読みやすい形にすることは、とても大切なことです。なので教科書のような記事が必要です。
しかし、「きかん坊」のテンションが上がらないのです。
「教科書のように書くなら、俺じゃなくてもよくない!?」と駄々をこね始めます。
映画の記事も、日々のコラムも、まぁグーグルに登録されません。
ポエムのような文章は解釈がそれぞれですからね。
でも、せっかく書いた記事なら届けたいわけです。
教科書のように書きたくないけど、自分らしく書いた記事は届けたい!
このワガママな「きかん坊」によって、お引越し作業は、頻繁に中断されてしまいます。
実際の引越し作業で、せっかくダンボールに詰めた荷物を、子供が勝手に出して遊び散らかすようなものでしょうか。
届けることをサボるわけには
カウンセリングで「優しさも、愛情も届ける努力をサボったら、相手に伝わりません。」とスパルタになることがあります。
自分が届ける努力をサボるわけにはいきません。
過去の記事を読み直しては書き直して、自分らしさを削ぎ落とさないように、でも多くの人に届けることが出来るように、きかん坊をなだめながらお引っ越しをしております。
なんで、そこまでして記事を届けたいのか?
「孤独とひとりの間にある何か」に届けたいのです。
このベンチで休んでくれたら
たまたま出会った文章に、心の荷物を少し支えてもらった感覚が忘れられないんですよね。
心理学について細く説明されたものではなくても、人の心はふと軽くなるし、優しさを思い出すことがある。
本来ならばカウンセラーとして、お客さんに来てもらうために、教科書のような記事を書くことを求められているのかもしれません。
でも、僕の原体験として、誰が書いたかも分からないし、記事のタイトルも覚えてない。たまたまSNSで、ネットで、見つけた言葉で少し心を休めることが出来るなら、別にカウンセリングに来てもらえなくてもいいと思ってます。
疲れてベンチで休むような感覚で、どこかで僕の言葉に出会って心を休めることができた。それだけでとても嬉しいことですからね。
最後に
過去の記事を読み直すといろんな気持ちが出てきます。
記事を書いた当時の想いを鮮明に思い出すこともあるし、伝えようと必死になり過ぎていたことや背伸びをして「良いこと」を書こうとする自分にも出会います。
それこそ「きかん坊」ではないですが、記事それぞれが子供のように思えるし、一つ一つの作品のように思えるし、記事を書いて届ける行為を通して一番励まされたのは自分だったのかもしれません。
いつも読んでいただきありがとうございます。
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