僕たちが不安に飲み込まれてしまうのは、
美味しいパン屋の味を忘れてしまうからかもしれない。
不安について考えてみる。
カウンセリングでも不安というワードは必ずと言っていいほど出てくる。
不安を消そうと必死になるけれども、
必死になるほど、その不安が大きくなっていく。
不安を消すことができないのなら、
「不安になってもいい」と受け入れることなのかもしれない。
不安になりたくてなりたい人などいない。
でも、僕たちはどうしても不安になってしまうことがある。
平気なそうな顔をしている人も、ただ見せてないだけかもしれない。
不安があるのは、そこに願いや希望があるからだ。
何も願いや希望もなければ、不安に感じることはない。
誰かに愛されたいと願うから不安になるし、
幸せになりたい希望があるから不安にもなる。
不安をこの世からまったく消してしまうことは、
その願いや希望も消してしまうことかもしれない。
願いや希望がある限り不安がなくなることはない。
不安はそのイメージから夜の闇を連想されることが多い。
「先が見えない。」
不安を無くすことができないように、夜を無くすことはできない。
でも、僕らは夜を生き延びている。
それは明かりを灯す方法を知っているからだ。
夜をこの世から無くすことはできなくても、明かりを灯す方法を知っていればいい。
疲れたら眠くなるように。
動いたらお腹が空くように。
不安になることを避けられないのなら、
その不安の先を照らす明かりを灯す方法を知っていればいい。
眠くなれば眠ればいいし、お腹が空いたら食べればいい。
不安になれば明かりを灯せばいい。
大きな明かりを灯すことができなくても、
小さな明かりを灯すことができれば、
その心強さを知ることになる。
小さな明かりは決して弱いのではない。
10年後を照らす明かりを灯すことはできないかもしれない。
5年後を照らす明かりを灯すことはできないかもしれない。
1年後を照らす明かりを灯すことはできないかもしれない。
でも、明日の不安を照らす明かりなら灯すことができるかもしれない。
美味しいパン屋を知っていること。
朝起きたら昨日楽しみに買っておいたヨーグルトを食べること。
久しぶりと言ってくれる友達がいること。
好きな本のページをめくること。
テレビを消して日記を書くこと。
誰かのTwitterの言葉に「この気持ち私だけではない」と思えること。
夜の闇に向かって、
「夜よ!いなくなれ!」と叫ぶだろうか。
まずは小さな明かりを灯すことから。
そう不安を消すことができないのなら、
小さな明かりを灯すことだ。
そして、その明かりの灯し方はもうすでに知っている。
私たちはすぐに忘れてしまう。
昨日の食べたものを忘れてしまうように
昨日まで覚えていた明かりの灯し方を忘れてしまう。
だから、何度も何度も思い出していく。
小さな明かりを灯すことを、その心強さを。
小さな明かりが次の明かりを思い出させてくれる。
夜の闇に怯えなくていいように、
もう不安に怯えなくていい。
不安になってもいい。
明かりを灯せばいいのだ。
もし自分の明かりを灯せたら、
誰かの明かりの道標にもなるかもしれない。
小さな明かりは弱いのではない。
力強く何度も照らしてくれる。
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