先日、お話会を告知してから思った以上の反響がありました。
ありがとうございます!
前回のブログでは少し抽象的な内容だったので、補足していきたいと思います。
目次
どんな人に向けたものか!?
お金も、成功も手にした。でも、いくら努力しても、成功を掴んでも、心は満たされないし、安らぎを感じられない。終わらないラットレースを続けているみたい。成功を手にしても一瞬の喜びだけで、また追いかける日々が何度も何度も永遠に繰り返される気がする。
「本当の私って?」自分が空っぽだと感じるけど、その空いた穴を何が埋めてくれるのか?分からない。自分の居場所がないまま、心に空いた穴を埋めてくれる「何か」を求めている。満たされないものを埋めようとしても物質的な「何か」を求めるけど、埋まらない。
いつも怒りを感じる相手が身近に存在する。いくら職場や環境が変わっても許せない相手が現れる。人との付き合いは、自分を縛り付ける鎖のように感じられる。恋愛も、友人関係も、ほどほどの距離でお付き合いする方がいい。でも。そこにいつも寂しさと虚しさを感じている
パートナーの愛を受け取れない。相手にも魅力を感じない。愛してくれるのに物足りなさを感じる。時には、その関係を壊したくなる。
今の働き方に限界を感じているが、新しい場所へ飛び込む勇気がでない。自分の直感を信じることができない。「本当の自分を生きようと決めたのに、心ではなくて、思考ばかり動いて、ずっと何もできないまま時間だけがすぎていく。
「なぜ、満たされないのか?」
「他の人が簡単に幸せを享受しているのに、わたしだけがなぜ!?」
頑張っても満たされない理由を「わたしはそんな人間だから」と運命論的なもので片付けようすることもあると思います。
その心に巣食う空虚さの正体を、お話していきます。そして、その原因たるものを手放していく方法まで実践していけたらと思ってます。
どんな変化があるのか?
カウンセリングでも女性性をテーマに扱っていくことが多いのですが、女性性に触れていく中で起きた変化の感想を載せますね。(個人情報の観点から一部修正してます)
自分の好きなように生きることに抵抗があって、成果や結果を出すことが全てだと思ってました。
でも、カウンセリングを受けて「自分らしく生きることへの抵抗」は、母との間で無意識に受け継いだ女性性を抑圧する生き方だと気が付きました。母もきっと自分を我慢させる生き方を選ぶしかなかったのだと思います。
私が自由に生きることで、母を悲しませると思っていたけど。
今は私が好きに生きることが母の願いでもあると受け取れるようになりました。自分の好きな生き方をこれから自分に許していこうと思います。
私いつも自分は必要のない人間って思ってたんです。何もできないし、迷惑かけるし。
私がいなくなっても誰も気にしないなら、海外に行って誰も知らない国で生きていきたいと思ってました。
今回、彼のことで相談をしたけど、私を受け入れていなかったのは彼じゃなくて私自身だったんですね。
自分を受け入れていくイメージワークをしてもらって、あの時も涙が止まらなかったけど、思い出すだけでも、涙が出てきます。
私が私を愛してあげようと思います。
汚されない苗木を育てる
今回のお話会に参加することで、どのような変化が起きるのか?「ドヤ!」っと答えた方が分かりやすいとは思うのです。
・自分の好きなことをできるようになった!
・彼に愛されることを受け取れるようになった
・ずっと辞めようと思っていた仕事を辞めることができた!
・連絡をくれない彼のことを、「もうどうでもいいや!」と思えるようになった!
・今度の恋愛はうまくいきそう!
もちろん、簡単に言葉にすれば、そのような変化が起きていきます。
でも、これはあくまでも表面上の変化なのかな〜と思うのです。
美しき女性性に触れることは、自分の心に小さな苗木を育てるようなものだと思ってます。
それは誰にも汚されない苗木で、自分だけの喜びや幸せを感じることで成長していきます。「自分だけ」とは、ワガママにという意味でなくて。「誰にも(過去にも)縛られない心で感じる」という意味です。
深く根を張ることで、生きる上での根拠のない自信や安心感に繋がります。
葉が大きく茂ることで、よりたくさんの喜びや幸せを感じることができます。
その結果として「生きやすさ」や「かけがえのないパートナーシップ」など、自分が本当に欲しいものを受け取れるようになっていきます。
内面の変化が現実に影響を与えていく。
例えばいつも自分を大切にしてくれない男性に恋をする女性がいました。
相手には他に女性がいると分かっていても、その人を追いかけてしまいます。何年も、心身ともにボロボロになって、やっと諦めることができたのですが、次に好きになった人も同じように他にも女性がいる男性でした。
表面的には、自分を大切にしてくれない男性に恋をしているわけですが、その女性の内面で起きていることは、自分の女性性の拒絶でした。
自分が自分の女性性を拒絶しているので、現実世界でも自分を拒絶するような相手を選んでしまうのです。(自分が自分の女性性を拒絶していることなんて普段は意識はしていません。)
自分の女性性を拒絶するのではなくて、愛することを受け入れていくことで現実が変わっていきます。自分を大切にしてくれる男性の存在に気付き始めるのです。
内面の変化が、現実に影響を与えていきます。
ハードワークの女性の話
自らの女性性を拒絶する結果として、ハードワークになることがあります。
女性性を抑圧するために男性性のエネルギーを高めているわけです。
心ではどこか限界と感じてしますが、嫌悪している女性性のエネルギーを解放することに抵抗があるのです。
ある女性は離婚を機にハードワークになりました。
結婚生活への失敗感、子供を不幸にしたと思い込み膨れ上がった罪悪感。
女性性で喜びや幸せを受け取ることを禁止してしまったのです。
「このままの生き方(やり方)ではやっていけない!」と限界を感じてカウンセリングにやって来られたのですが、僕が提案したのはやり方を変えることではなくて、内面に溢れる女性性を解放することでした。
少しずつ自分の過去を受け入れて、許していきました。
女性性が解放されていくと、男性性のエネルギーに蓋をする必要がないので、徐々にハードワークも手放していけました。
このように内面の変化が現実に影響を与えていきます。
男性でも受けていいですか?
あと、早速お問合せも来ておりまして。
量さん
女性性に関するお話会は、男性も参加していいですか!?
スケジュールが調整できるか分からないのですが、調整できらた、参加してみようかと悩んでます!
全然、大丈夫ですよ!
告知が遅かったのでスケジュールを調整するのが大変ですよね。すいません。
女性性は男性の中にもありますからね。(この辺りはお話会で具体的にしていきます)
自らの女性性を否定してしまうことで生きづらさを感じている男性にも参加してほしいと思ってます。
自らの女性性に深く触れることで、自分自身の受け止め方も変わってきます。また、女性をより深く知るためにも、女性性について触れることは大きな意味があると思います。
あえて男女で分ける必要はないと思いますが、男性バージョンとして。
熱意や優しさがあるのに「頼りない」と言われてしまう。
自分の中にある繊細さを素晴らしい感性だと思えずに、世の中のマッチョな男性性社会やルールに適応できずに、自分を責めてしまう。
自分の中に燃え上がる情熱を伝えても、その愛を否定されてしまう恋愛を繰り返してしまう。孤独だけど、誰かを共に生きる未来を選択することが怖い。
「強さ」と「優しさ」の間で揺れる葛藤
これも別に男性だけの悩みではないと思うんですけどね。
自分の中のバランスというか、「相手にどう自分を見せるのか?」と、「強さ」と「優しさ」で葛藤される方が多いかもしれません。
でも、それは二社択一の思考の罠にハマっているように思うのです。
僕個人の話ですが、去年、それまで所属していた会社を独立しました。
それは表面的には男性性のエネルギーの側面のように思いますよね。でも、今、振り返れば自らの女性性のエネルギーをもう1段階レベルアップして受け入れた時に、力強い男性性のエネルギーが構築されたように思うのです。
女性性、男性性のお互いのエネルギーが力強く支え合うイメージです。
そのエネルギー変化のおかげか、独立してから男性のカウンセリングをするケースが増えてきました。
相反するように思える女性性と男性性のエネルギーですが、二社択一の選択肢から解放されることで、自分らしい生き方や在り方が見えてくることがあります。
どんなことをするのか?
女性性について、歴史的な立ち位置や神話や物語の中から読み解いていきます。
用語として「女性性」を理解しようとすると、言葉で定義された意味に捉われてしまいます。(もちろん言葉で定義することも大切ですが。)
それでは女性性の本質と少しかけ離れることがあると思ってます。それがカウンセリングを受けてても、心理学を学んでも、頭をややこしくさせる原因になります。
「女性性とは〇〇だ」と言葉の定義で捉えるだけではなくて、全体像として捉えることで見えてくるものがあるし、腑に落ちることがあります。
その感覚を体験してもらいたいと思います。
お話会ですが、 カウンセリングで行うようなイメージワークをしたり、インスピレーションに従ってクリエイティヴな作業をしてもらうかもしれません。
物語の中に登場する怪物の意味とは!?
物語や神話の中でには、モンスター(怪物)やドラゴンが登場します。
お姫さまを攫ったり、閉じ込めたり。
モンスターやドラゴンは何を表しているのでしょうか?
自分の人生の中で「あなたらしさ」を抑圧させるモンスターはいませんか?(もちろん怪物の姿はしていませんけどね。)
女性的な魅力を受け取ってくれない相手、いつもプレッシャーをかけてくる上司、禁止や抑圧させるシンボルとしての母親、あなたの女性性を傷つける相手はいませんか。
物語に登場するモンスターやドラゴン、魔女は、現代はその姿は違いますが、登場してきます。
私たちは、そこから何を読み取って、どう選択していけばいいのか?
今回のお話会で解説していきます。
補足:
僕の講座やお話会に関する考え方でもあるのですが。
開催日までの期間は種を埋めて、水をあげる期間だと思ってます。当日まではどんな花が咲くのか分からない。だけど、その時に必要な花が開くと思ってます。
元々、準備していた原稿を読むことができない、わんぱくな性格が影響しているのですが。
前回、開催した「聞く」をテーマにした講座でも、それまで準備したスライドを全部使うことはなかったです。その場の流れや空気に合わせて、ベストな形で作られていくように思うのです。
今回のお話会に内容に合わせて説明するならば、その場に、その瞬間に流れる創造の泉に身を委ねていると言ってもいいかもしれませんね。
心が燃え尽きてしまうのは!?
「これだけやったのに何も変わらないじゃないか!」
「何をやっても満たされないじゃないか!」
これらの声は、内なる女性性を否定しているから起きるのかもしれません。
幸せや変化のプロセスに無意識に抵抗しているのです。恐れが強いほど、男性性のエネルギーを使って乗り越えようとします。
「変化を受け入れる」のではなくて、「変化を起こそう」と余計に力を入れてしまうのです。
「変化を受け入れること」と「変化を起こすこと」の違いとは何か?
それはコントロールする意識があるか?の違いです。
男性性的なエネルギーで変化を起こそうとしている時に、「自分のタイミングで」「自分のやり方で」「自分の求める形で」とコントロールする意識があります。
もちろん、そのやり方で成功することもあります。この社会は男性性的なルールで作られた側面が多くあります。(ルールそのものが、そもそも男性性の側面と言ってもいいわけですが)
言語化された幸せ、制度や社会での役割、役職etcで表現される関係性、数字の多寡で判断される成功、それらは男性性の視点から切り取った一部でしかありません。
分かりやすい成功や幸福かもしれませんが、それだけを追い求めても、埋められない空虚さがあるのです。
それまで必死に求めて埋めようとしてきたのに、自らの内側にある言語や数字で埋めきれない空虚さを自覚した時に、人は燃え尽きてしまうのかもしれません。
「受け入れる」とは感性で読み解くこと
「受け入れること」は、何かを変化させる力ではなくて、読み解く力と言えます。
それは言語や数字で表現すれば、その定義から漏れてしまう。だけど、しっかりと大切なもの。それを自らの感性と感覚を信じて読み解くことです。
例えば、大切な人の側にいるだけで感じられる安心感、大自然に囲まれて心が開放的になる瞬間、ずっと仕事ばかりして心が何も感じられなくなっていたのに、小さい頃の写真を見て、ふいに流れてくる涙の意味。
それらは決して数字や言葉ですべてを定義できるものではありません。
でも、それらが自らの人生においてとても大切な価値を秘めていることは、言葉や数字で説明できなくても、本能的に感覚的に理解していると思います。
それを受け取る力が女性性のエネルギーなんですよね。
思考(男性性)から解放されて
私たちは人生の成功や幸福の意味を、頭(思考)だけで求めていると、窮屈さを感じてしまいます。比較と競争の罠にハマって、自己嫌悪と怒りに自分自身がコントロールされてしまいます。
女性性は何も奪いません。誰とも比べません。争いません。何も否定しません。
それはすべてを受け入れる大地のような性質だからです。(母なる大地と例えられるのは、そのような女性性の性質とも無関係ではないと言えます)
雨の日も、晴れの日も、すべてを受け入れる。
一つの見方にこだわってしまえば、潤いを与えてくれる雨も、燦々と輝く太陽の光もネガティヴな意味に限定されてしまうことがあります。
すべてを受け入れることができれば、恐れを抱くことはありません。
(↑この部分を男性性的な解釈をすると、我慢や忍耐のように受け取ってしまいます。今回のお話会でも伝えたい内容ですが、男性性か?女性性か?の二者択一的な捉え方ではなくて、お互いの性質を受け入れてそのエネルギーを統合することが、人生に豊かさを与えてくれます。)
愛を持って美しさを見続ける
すべてを受け入れることは、愛を持って受け入れることであり、美しさを見続けることでもあります。
この世界のことを、自分自身のことを、愛と美しさを持って、見つめてみる。
これまでは感じられなかった感動が心の奥から響いてくると思います。
それは自らの生命に感動すること。
僕が「歓喜」と表現したのも、その感動があるからです。
自分の生命に感動すること。
それはルールや数字で定義された社会では何も成果として意味はなさないかもしれません。でも、人の心に豊かさを与えてくれる大切なものだと思います。
まずは自らの人生をしなやかに受け入れていく
例えば恋愛において、相手の過去も、傷付いた心も、繋がりへの恐れも、すべて受け入れてあげるためには、自らの人生を愛と美しさを通して受け入れる経験が必要になります。
自らの人生を受け入れていないのに、相手をあるがまま受け入れることは雲を掴むような、形式だけに捉われて心で通じ合えるものを欠いてしまいます。
また、「強さ」を求めると、自らの「弱さ」に捉われてしまいます。本当の「弱い」なんて分からないし、基準なんて誰かが決めることでもないのに。
定規で引いた線のように真っ直ぐに生きることばかりを求めてしまえば、折れてしまいます。それが埋められない心の空虚さと対面した時の燃え尽きとも言えます。
自然を見てみてください。どこにも定規で引いたような直線はありません。
それぞれの形でしなやかに、あるがままに、世界を受け入れる姿が見えてくると思います。
怖れから相手や現状をコントロールすることは、自分の受け取りたい形に相手を歪曲することとも言えます。それでは反発や抵抗を煽るだけです。
しなやかに柔軟に愛と美しさを持って受け止めていくことが出来れば、自然な形でなるように未来が紡がれていきます。
自らの内側に流れるこの女性性の力を、一緒に見つめていきましょう。
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