今回の6月22日の講座「大切な想いを聞くために」は、「講座」と記しているけど、自分の中ではart(言うならばpoem)だと定義した方がしっくりと来る。
「自分の講座は芸術的に素晴らしい!」と自負しているわけじゃない。
「how to」や「答え」を伝える授業的なものではなくて、より思考と感度を進化させるきっかけとして、多くの発見、気付き、そして新たな疑問を手に欲しい。
そんな想いがある。
また、自分自身が講座の内容を作り込む過程が、詩を制作する過程にすごく似ている。
たった五行の詩を作るのと、3時間に及ぶ講座を作ることに、内面を抉り出す同じエネルギーを感じるのだ。
詩は「答え」を導くものではない。その詩に触れて、それまでの、そしてこれからの自分と「対話」を深めていくきっかけになる。
「答え」がないから「対話」を続けられるし、「対話」することに意味があると思っている。
美術館で、あるいは一冊の本でartに出会った時に、手にするのは「答え」ではなくて、「対話」のように思う。
その作品がもたらしてくれた「感動」から対話を続けていく。
何を感じたのか?何を思うのか?何に惹きつけられたのか?
すべてが言語化された「対話」ではないけれども。
日常に戻っても、その「対話」が続いて、生きる日々を支え、道標になる。
今回の「講座」もそんな「対話」を生み出すきっかけになってほしい。
「答え」や「how to」ですべての人の心を救えるのなら、今頃カウンセラーは絶滅している。「答え」や「how to」が必要な場面もあるので、決してそれらが不要というわけじゃない。
カウンセラーは「疑問」あるいは「問い」を内包し続ける力が必要だと思っている。それは「対話」を続ける力とも言える。
クライアントさんの話してくれる問題は、すべてが簡単な因果関係で整理し切れることではない。「AだからBだ」と、公式に当てはめても解決しない。
「疑問」や「問い」を抱えきれなくなると、相手の気持ちを遮断してアドバイスしたり、自らの自信のなさに溺れてしまう。
「聞く」ことは「答え」出すためではなくて、相手の広大な人生の物語を捉え続ける作業でもある。「聞いてくれる人」がいることで、それまで語られなかった物語が語られて、続きを紡いでいく。
停滞した人生が動き始める時に、物語が語られることが重要な要素になってくる。
それまでの視点から、違う視点で自らの人生を編集していくことで、物語の続きが生まれていく。その創造と想像が新しい人生を歩み出す力になっていく。
人生を打開する答えは降ってくるのではない。
考え続けた先に、無意識のゆりかごが、一つの道筋を導き出してくれる。
それは「答え」というには、まだ曖昧で、ぼやけている。
一人では恐れの声に、小さな産声がかき消されてしまう。
その小さな産声を聞き逃さないように、共に「聞いて」あげる。
そのために信頼関係を構築すること。
カウンセラーにとって「聞く」とは、このことも指すのではないだろうか。
相手の物語を受け止めることは、自らの内面で「対話」を続けているから、できることだと思う。
内なる「対話」を続ける時に、ネガティヴな感情が刺激されれば「焦り」や「迷い」「自信のなさ」として、カウンセラーが自身を責める機会になる。
答えのない「対話」を続けていくことは、葛藤することもあるけれども、それは自身を責めるようなネガティヴなことではない。
その葛藤の深さが、ある意味、目の前のクライアントの物語を受け止める力へと繋がっているからだ。
自分と対話ができないなら、相手の声にも耳を傾けることはむずかしい。
「AだからB」「BならばC」といった公式のような「答え」を伝えるだけならば、AIでもいいし、実際にカウンセラーがクライアントさんに対面して話をする必要もない。
カウンセラーは安心感が欲しくて答えを導き出す公式が欲しくなるかもしれない。でもそれを求めすぎてしまえば、「自分がカウンセリングする意味」を見失っていく。
公式に当てはめることは、誰でにもできる。それでは「自分」がする必要性が希薄化していく。
カウンセラーが迷子になりやすい「私がそこにいる意味」「私がカウンセリングをする価値」という課題が降りかかってくる。
そもそもカウンセラーに「個性」が必要か?という問いがある。
例えば外科的な手術をするのに技術と経験があれば、お医者さんの「個性」は手術にあまり関係ないのかもしれない。(もちろん診断や関係性を育む意味では「個性」が重要だろうけど。)
カウンセラーが、カウンセリングルームで行うことが、公式による回答ではなくて、「対話」による信頼関係の構築ならば、「個性」が鍵を握ってくるのではないだろうか?
(むしろ、公式化されて単純化していく社会の中で、希薄化した人間関係の繋がりを修復することが、カウンセリングの重大な役割になる)
「個性」とは、強調された分かりやすいアイデンティティという意味ではない。
カウンセラー個人が人生を通して対話し続けた歴史である。
それは年輪や貝殻の模様のように一つとして同じものはない絶対的な「個性」だ。
今回の講座を作るのに、詩を作り出す時にも感じる「内面を抉り出すエネルギー」を感じると前述したけれど。
それはこれまでの「対話の歴史」を濃縮し言語化する作業に必要なエネルギーと言える。
「聞く」作業も同じエネルギーを使っている。
それまでの自らの人生の対話の蓄積を通して、相手の話に耳を傾けている。
知識も、経験も、完成も、フルに動員されている。
「聞く」という行為は受動的で受け身のように見えて、実は心のエネルギーをパワフルに使っている能動的な行為になる。
模擬練習でカウンセリングをしてみれば、最初は1時間でもヘトヘトになる。
喫茶店では何時間も続けておしゃべりできる人でも、かなりの疲労感を感じるはずだ。
それは心のエネルギーをフル稼働させているからだ。
今回の講座では、聞くことによる心のエネルギーが相手の問題を癒すことにどう関わっていくのか?一緒に考えていきたい。
先日のブログにも書いたように、そこで得た「何か」が、日頃の会話を自信と繋げる意識を育ててれる。
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