不平不満を世界にぶつけても、愛はかえってこない。
出来るのは孤独の証明だけだ。
不平不満を伝えても現実は何も変わらないのに、
不平不満や我慢といったやり方で相手に何度も伝えてしまうのは、
孤独を証明しようとしているかもしれない。
「愛されないこと」を「愛されないやり方」で証明する。
愛を求めて世界に中指を立てている。
「私を愛せるものなら、愛してみなさいよ!」
まるでプロレスラーが相手を挑発するように、せっかく出会えた愛してくれる人もボコボコにしてしまう。
厄介なことはこの行動に気が付けていないこと。
気が付いてもやめることができないこと。
親切や優しさのふりをして相手に不平不満をぶつけていることもある。
愛するふりをして不平不満をぶつけてしまうこともある。
相手をコントロールしたい欲求の裏側には、不平不満が隠れている。
そのやり方で一体どれくらい失敗しただろうか?
それほど人生をかけて孤独を証明したいのかもしれない。
孤独を証明することは簡単だ。
怒りに身を任せて、悲しみと後悔に浸っていればいい。
でも、そうやって自分を閉じ込めているのはもう嫌なんじゃない?
怒りを感じてもいいし、悲しみを感じてもいい。
それだけ傷付いたし、しんどい思いをしてきた。
その傷を休めるために感情を感じてあげることは大切なこと。
でも、孤独を証明するために、そこに浸り続けることは自分を癒しているようで、ずっと心を殴り続けてない?
愛されることは、本気で愛を受け取りにいくこと。
愛されることにコミットした人は目が変わってくる。
愛を見つけようとする目に。
心の中で中指を立てている間は、どんなに綺麗なことを言っても、どんなに愛されようと行動しても、 愛されない理由や事実ばかりを探してしまう。
愛されることを自分に許してあげていいんじゃないかな。
もう孤独の証明はやめよう。
愛されることは怖いし、痛い。
自分でも愛せない部分を遠慮なく相手が愛してくれるから。
だから勇気もいる。
腹を括って愛されにいこう。
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