悩む時間も、落ち込む時間も、
もしかしたら必要だから与えられたものかもしれない。
自分を小さく扱っている状態は、
見方を変えると自分で自分に限界を作っているわけです。
可能性も、喜びも、幸せも、
その制限の外側に置いてしまって、近くにあるに手が届かない。
動物園で大きなガラスがあって向こうにはライオンやパンダが目の間にいるのに、そのガラスがあって触れられないように。
この世界には物理的な制限はあるとしても、心の中に制限を作れるのは自分だけ。
悩む時間も、落ち込む時間もその制限を書き換えるために必要かもしれない。
自分の中にある制限を書き換えないで、世界や相手を変えようとすることは難しい。
相手を変えようとすればするほど、悩む時間は苦しい時間になっていく。
自分を変えようと思っても、苦しく感じるかもしれない。
でも、苦しさは打つ手がない苦しさではなくて、決断する勇気であり挑戦する勇気を生み出す苦しみだ。
うちの師匠に出会った時に「人生を変えるのは勇気だよ」と教えれられた。
難しい専門用語やイメージワークでもなく、根性論にようにも聞こえる「勇気」という言葉だった。
僕たちは「勇気」を出す瞬間に生みの苦しみを味わうことがある。
新しい未来に希望を掲げているはずなのに、それまで生き方にさよならをするのが惜しいように勇気の先延ばしをしてしまう。
お腹に小さな命を宿して十月十日共に生きていくように
小さな勇気のかけらをゆっくり時間をかけて育てていく。
不安と希望が交差しながら、いつしか祈りになっていく
どうか、この勇気に幸せが実りますように。
カウンセラーをしていて、何人もの方に、何年も長い期間お付き合いさせていただく。
「思い通りに人生になりました!」と報告してくる方よりも「あの時に勇気を出して良かったです!」と報告してくれる方が多い。
手にした未来よりも、あの時に出した勇気を称賛したいのかもしれない。
だから、例え結果が上手くいかなくても、「あの時に勇気を出して良かったです!」と報告してくれる人が多くいる。
私たちは、未来を思い通りに手に入れることよりも、人生を変えるような決断をする勇気を持てたことに喜びを感じるのかもしれない。
自分で勇気ある決断をすることは、自分の人生を生きている感覚を取り戻すことかもしれない。
だから、その時は結果が出なくても、
勇気の種は撒けたのだから、いつかそれが幸せに実ることを知っている。
それが灯台の灯りとなって暗闇に自分を見失うことがない。
今日もどこかで、
小さな勇気の種を撒く人がいて、
優しく育てる人がいる。
どうか、その勇気に幸せが実りますように。
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