お母さんではなくて、お父さんでもなくて、
自分に制限をかけてしまっているのは「理想の自分」 ということがあります。
理想の自分と仲良く手を繋いで幸せな未来へと歩みを進めることが出来ればいいのですが、「VS理想の自分」となって勝負を仕掛けてしまいます。
理想の自分を比べて「何も出来てない自分」を感じることで、
自己否定的な感覚を作り出してしまうのです。
「何かしたいけど、何も動き出すことが出来ない」
そこに「理想の自分」との比較競争が隠れているかもしれません。
その競争の罠を抜け出す為には、今の自分に出来ることをしっかりと受け取ることです。
今の自分には何も出来ないと感じていると、そこから強烈な「理想の自分」を作り出してしまって、そのプレッシャーからやる気さえなくしてしまいます。
どの職業にもあるかもしれませんが、
カウンセラーもですね「立派なことをしなきゃいけない病」にかかってしまうことがあります。
例えばですね、心理学のブログなんかでも「読者の為に自分が何か出来ることはないか?」と真剣に考えれば考えるほど。
「立派なものを書かないといけない!」と自分への評価を厳しくしてしまいます。
そうやって研鑽していくことは、素晴らしいことですが、
そのプレッシャーが大きすぎてブログを書くことさえ出来なくなったという本末転倒を起こしてしまうことがあります。
審査審長ワタシが厳しくなりすぎるんですよね。
これ自分が好きなことや、慣れ親しんでいることで起こりやすいんですよね。
カウンセラーの話に戻しますが、
心理学を勉強する時間が長ければ長いほど、自分にとって「当たり前」が増えていきます。
すると
いざ、何かを伝えようと文章を書き出すと
「なんか全然良くない!当たり前のこと書いている!」と感じて自分にダメ出しをしてしまいます。
「立派なものを書かなければいけない!」と思っていますからね。
「当たり前」のことでは審査員長ワタシが納得してくれないわけです。
でも。自分にとっては「当たり前」は読者にとっては「当たり前」ではありませんよね。
今日初めてそのブログを読んでくれている人もいるかもしれませんし、同じテーマの記事でも理解できる心の余裕が出来たタイミングで読んでくれるかもしれません。
カウンセラーにとっては「当たり前」のことでも、
読者にとっては起死回生の助言になることもあるんですよね。
明石家さんまさんが「自分の持ちギャグに自分が飽きたらダメ!」と若手芸人に話していました。
お客さんは初めてそのギャグを見るかもしれないし、楽しみに待っている人もいるかもしれない。
自分は劇場やテレビで何度も同じギャグをして飽きているかもしれないけど、自分が飽きたらダメ!
というようなことでした。
自分にとっての「当たり前」は誰かにとっては「かけがえのないもの」かもしれないのです。
私たちは日々無意識に成長しているんですよね。
自分が好きなことや、毎日接していることなら、なおさら成長スピードは速いんですよね。
自分にとっては変わらない同じことだと思っていても、まったく質が変わっているんですよね。
バイトのレジ打ちなんかでも、気付いたらめちゃくちゃ早く打てるようになっているものです。
でも、それが当たり前になってしまっているので、自分では別にすごく感じられません。
このように自分の価値を受け取れないんですよね。
すると自分にとって「当たり前」が増えていって、
「理想の自分」もどんどん大きくなってしまうことがあります。
「理想の自分」の基準が今の自分の延長線上にあるのものではなくて、
今の自分にないものになってしまっています。
「今の自分にないもの」が理想の自分ならば永遠にその自分になることはありません。
日々成長していても、理想の自分に近づけないのです。
ややこしいですよね。
「理想の自分」と永遠に追いかけて競争しているわけです。
理想の自分になってからスタートしようと思っても、その日はやってきません。
今の自分にも出来ることや与えられるものがあることをしっかりと受け取っていくことなんですよね。
理想の自分を追いかけるのはストップです。
「理想の自分」を掲げて、その旗で自分をタコ殴りにしてはいけません。
目を向けるのは、理想の自分ではなくて、
目の前にいる自分自身であり、あなたの周りにいる人々なんですよね。
自分の価値を受け取ることは、自分を見ることだけではなくて、
周りの人々があなたにどんな目を向けているのかちゃんと受け取ることです。
すると
自分の中の「当たり前」の価値に気が付いていくことが出来ます。
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