男性性のエネルギー優位で生きてきた人ほど、緩めることが苦手になります。
まるで自分がサボっているように誤解するからです。
「強く!正しく!全力で!誰よりも!」をスローガンに生きてきた部分がありますからね。
そうでなければ生き抜いてこれなかった過去があるわけですが、そのスローガンゆえに過酷な道のりを選択し続けることもあります。
過酷な道のりを生きてきたからこそ、そのスローガンを緩めることができない。
う〜ん、難しいですよね。
男性性or女性性!?
そもそも「男性性で生きるか?女性性で生きるか?」は、簡単な二者選択ではありません。
シャークスピアのハムレットにあるように「To be, or not to be, that is the question.」ではないのです。
※「生きるべきか?死ぬべきか?」との訳で有名なセリフ。最近は少し違った訳にもなっていて、興味ある方はチェックしてみてください。
どちらかを一つを選ぶのではなくて、2つのバランスを取ることが大事なんですよね。
男性性優位で生きてきた人ほど、「欲しいものは一つしか得られない!」という考えに捉われてしまうことがあります。
「恋愛か?仕事か?」「自分の幸せか?周りの幸せか?」みたいにね。
どちらのエネルギーも必要なもの
男性性を緩めて、女性性を感じていくこと、開いていくことで、お互いのエネルギーが活性化されていきます。
女性性を豊かに生きることはサボることではありません。
ハードなトレーニングをした後に、しっかりと栄養をとって休息を取りますよね。
バードなトレーニングが男性性なら、栄養と休息を女性性と考えると分かりやすいかもしれません。
栄養や休息は決してサボっているわけではありません。
むしろ、ハードなトレーニングを維持するためにとても必要なものです。
心のバランスや人間関係に問題が出てくるのは、ハードなトレーニングばかりして、栄養や休息を取れていなかったのかもしれません。
ボロボロの状態でより過酷なトレーニングをすることは、とても危険ですよね。
でも、私たちは心の状態が見えないからこそ、より過酷に自分を追い込んでしまいます。
楽になることを許してあげる
自立を緩められない人は、過去の傷を抱えたままで、その傷を守るために自立の鎧を着込んでいることがあります。
ただそれだけではなくて、実は罪悪感なるものも影響していることがあります。
自立はある意味、自分を鎖で縛り付けているわけです。
弱みも見せない、誰かに頼れない、心を許せない。
幸せに満足させない。心地よさよりも建設的なことを!みたいに。
そうやって自分を罰しているわけです。
もう許してあげてよくないですか?
身内の涙を自分のせいにしてない?
私たちは愛ゆえに周りの人の悲しみを自分が背負い込んでしまうことがあります。
子供が熱を出したら、自分を責める母親は想像に難くないですよね。
これは分かりやすい例ですから、自覚もしやすいですが、無意識に罪悪感を溜め込んでいきます。
その罪悪感を拭い去るように自立の道をひたすら進んでいってしまいます。
あなたはどれだけ周りの人の笑顔を奪ったと思い込んでいるのでしょうか?
母が幸せそうじゃなかったことも、娘を悲しませたことも、すべて自分ひとりで抱えてませんか?
また、ややこしいことに大嫌いな相手にも実は罪悪感を抱えていることがあります。
「親父のせいで私の人生はめちゃくちゃになった!」と思いながらも、その父親の幸せの存在になれなかった自分を責めていることもあるのです。
罪悪感を溶かしていく
カウンセリングでもイメージワークをするんですけどね。
罪悪感は愛ゆえの誤解なんですよ。
その罪悪感に人生の大半の時間を縛られているので、それが当たり前のように、自分の性格のように変えられないものだと思い込んでしまいます。
でも、それだけの罪悪感を感じることは、それだけ大きな愛があるわけです。
その愛を誰が責めるでしょうか?
罪悪感を溶かしていくことは、その愛を受け取り直していくことです。
愛ゆえに自分を縛り続けることは本当に喜ばせたかった相手を笑顔にすることでしょうか?
その誤解を解いていきましょう。
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