カウンセリングで「今日は誰でもない時間を過ごしましょう」と提案することがあります。
いつも何かの役割をしていなければ落ち着かないことがあります。
職場では誰かの上司で、または先生かもしれません。
家では子供の面倒をみる母親で、または母の世話をする娘かもしれません。
「誰かのための時間」はあっても、「自分の時間」がないんですよね。
「自分の時間」がなければやりたいことも、好きなこともわかりません。
だって、分かってもそれをする時間がないですからね。
「自分の時間」がないわけですから。
「私になれる瞬間」のはじまり
いつの間にか自分が分からなくなるんですよね。
仕事のことは誰よりも詳しくても、家のことはなんでも出来ても、自分のことが1番分からなくなる。
だから、そんな人がカウンセリングルームの扉を開けて、目の前に座ったら「今日は誰でもない時間を過ごしましょう」そこから始めていきます。
いきなり「自分の時間」を言われても分からないですからね。
それまで抱えてきた「何かの役割」や「誰かの時間」を少しずつ下ろしていきます。
無防備になった感覚もするし、怖いような寂しいようなイケナイことをしている感覚もします。つい頭でいろいろ考えてしまいます。
「〇〇しなければいけない」と。
「来年の春までに私が〇〇をして、△△しないと会社が回らない」
「母は私が連絡しないと〇〇だし、父は××で」
ただ抱えている頭の中を言葉にしてもらって、それに耳を傾けていきます。
「話すこと」は「離すこと」と言われることがあります。
ゆっくりと話していく中で、何かがスルッと落ちていくように。
それまで固く結ばれていた靴紐がいつの間にかほどけていくように。
スーッと心が楽になることがあります。
頭の中で絡まったものを絡まったまま吐き出していくこと。
無理に整理しようとしなくていいし、解決しようとしなくていい。
そこに意識が向けれらなくなったときに、ふと、それまでの役割が抜けて「私になれる瞬間」があります。
自分が自分の人生の主人公として、そこに存在するような感覚。
それが「自分の時間」の始まりだったりします。
最初は小さな炎のようなものですから、すぐにそれまでの習慣にかき消されます。
でも、何度も何度も火を灯していくことで、次第に強い炎へと変わっていきます。
ただ言葉にするだけかもしれません。
でも、言葉にすることの力は私たちの想像以上に大きな力を持っています。
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