愛することができない苦しみは、愛されないことの苦しみよりも遥かに大きい。
私たちは愛することができない苦しみを理解する前に愛されないことの苦しみを見てしまいます。
それはまだ赤ん坊で何も出来ない時代に母親からすべてを与えられてきた経験から「愛されない=与えられない=生きていくことができない」という構図を作ってしまうからです。
何も出来ない状態の赤ん坊は無条件の愛情で包まれます。
「あなたなしでは、私の人生は何もない」
恋愛ドラマでこのセリフが愛の告白として使われているのは、この赤ん坊の頃の体験が来ているのかもしれません。
目次
過去の感覚が影響している
恋愛では「あなた」は彼氏(彼女)のことですが、実はかつてのお母さんなんですよね。
「お母さんなしでは生きていけない」
ここでのお母さんは実際のお母さんでもありますし、お母さんに代わって世話をしてくれる人のことです。
泣けば抱っこしてくれて、お腹が空けばご飯を用意してくれる。
無条件で愛してくれる存在を求めてしまうのは、何も出来なかった頃に愛された経験があるからです。
「私のお母さんは何もしてくれなかった!愛してくれなかった!」
と母親に対して怒りを抱えてしまうことがあるかもしれません。
その怒りは何年も何十年も心の中で燻り続けます。
しかし、この怒りは無条件の愛を経験していないと感じることのない怒りなんです。
最初から母親が無条件で愛してくれる存在でなかったら母親に愛を求めることはしません。
過去に母から無条件に愛された記憶があるので、「もうそれが終わってしまった!」とそこに落胆と怒りを感じてしまうのです。
道路の片隅に立っている電信柱に無条件の愛を求めることはありません。愛されなくても腹が立つことはありません。
それは電信柱に自分を優しく抱きしめてくれる能力がないことを知っているからです。
母親への怒りを感じるときは、かつて愛された記憶があり、その愛がもう訪れないことへの落胆と怒りがそこにあります。
愛されない落胆が作り出すパターン
そう落胆があるのです。
何も出来ない状態でも、無条件に愛されていたのに、もう私は愛されなくなった。
何か資格を失ったから愛されなくなってしまった。
自分が愛される価値がなくなってしまったのはなぜか?
赤ん坊から思春期へと成長していく間にその理由を無意識に求めてしまいます。
①できない自分で居続ける(問題を繰り返してしまうパターン)
自分でご飯を食べられるようになり、おむつを変えてもらう必要も無くなった。
「そうか!お母さんの助けがいらないくらいに成長してしまったから愛されないんだ!」
「成長することが愛されなくなることだ」と理由を見い出せば、誰かに愛される為に「出来ない状態」を作り出していきます。
問題を起こせば振り向いてくれるかもしれない。
言葉を発することができない子供の頃に泣けばお母さんが抱きしめてくれたように、ネガティヴな感情を持ち続ければお母さんから愛情をもらえるかもしれない。
ネガティヴな感情を使って相手を自分に振り向かせようとするのは、この心理パターンから来ていることがあります。
②自分に価値をつけようと頑張り続けてしまう。
お母さんに愛されないのは、「出来ないまま」でいるからかもしれない。
もう無条件で愛される時期は終わってこれからは自分に愛されるを価値をつけていくしかない。
そこに理由を見出すと仕事や勉強など自分の価値をアップさせるためにハードワークになってしまいます。愛されるための条件を必死に求めてしまうのです。
「何も出来ない」ことに対するコンプレックスも強くなってしまうので、誰かに頼ることもできなくなってしまいます。
頼ることは愛されることでもあるのですが、それが出来ない。
それが出来ないから、もっと自分に価値をつけようと頑張るそのサイクルのパターンが始まってしまいます。
愛する喜びに許可を出してあげる。
ここで一つの大きなテーマがあります。
上に書いた2つのパターンは、それぞれ違うやり方ですが「愛される」ため行動です。
ゴールは「愛されること」です。
その途中で、相手の気を引くために「愛する」ことがあったとしても、そのゴールは「愛されること」なんですよね。
「愛する」こと自体が喜びのゴールにはなり得ません。
愛されることに価値を見出しても、愛することに価値を見出せていないのです。
「愛する」ことは「愛されるため」の手段になっているのです。
愛すること自体に幸せを感じられないのであれば、いくら愛しても幸せを感じられない。
どれだけ相手に愛されていても、いつか愛を失うことに怯えていなければいけません。
愛されてもいつか失うことを恐れて幸せを感じられないのです。
この苦しみから脱するためには愛すること自体の喜びを感じられるようになることです。
それは愛されることを求めてはいけないということではありません。
あなたが心から誰かを愛することへの喜びを受け取っていくことです。
「愛する」ことは「愛される」ための手段ではありません。
愛すること自体に喜びを見出していくことです。
それは心の選択の力でもあります。
この人を、この状況を愛する視点で見ることが出来ればどんな気分になれるだろうか?
愛されることだけで気分が良くなるのではありません。愛することによっても私たちの気分は晴れていきます。
愛するという行為は相手のためにあるものではありません。
愛することに一生懸命になれた時にそれ自体で私たちは喜びを感じられます。
愛する喜びを自分に許可を出してください。
すると愛しにくい相手や状況を愛する視点で見れるようになったり、愛しにくい相手に興味がなくなったり、そんな状況から自然と離れていくことができるようになります。
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