恋愛が終わりを告げるときに、私たちは愛する人への想いをゆっくりと小さくしていきます。
「思っていた人と違った」
「あの人と一緒にいても幸せになれない」
「もっといい人と出会った」
「喧嘩が絶えなかった」
「相手から別れを告げられた」
理由がなんであれ、少しずつ愛する想いが小さくなっていきます。
子供の頃に大好きだったらアニメやゲームへの想いが、大人になると段々薄れていくように、思い出としては鮮明に残っているけど、あの時に熱中していた感覚が薄まっていく感じです。
愛する想いを小さくするスピード
綺麗に100から0に愛する想いがフェードアウトすることもありますし、時には「70→60」と段々と小さくなっていたのに「60→65」と行ったり戻ったりするかもしれません。
でも、そうやって時間をかけて、愛する想いは小さくなっていきます。
そういった意味では、失恋後にすぐに相手のことを忘れることが難しいこともあります。気持ちが段々と落ち着きを取り戻すには「時間」が必要ですからね。
浮気されたり、嘘をつかれたり、他にとても好きな人ができたり、そんな大きな刺激がある時は、その刺激が愛する想いを小さくするスピードも早くなることもあります。
ロケット鉛筆みたいに愛する気持ちが大きな刺激によって、外に出されるからです。
理想を手放していく
愛する想いを小さくする過程で、思い描いた相手と一緒に過ごすはずだった理想も少しずつ手放していく必要があります。
理想を手放して諦めること。
諦めるの語源は「明らかにする」です。
かつて自分が思い描いた理想を手放すのは苦しい作業でもありますが、「あの人と未来には、きっと私の思い描いだ日々はない」と明らかにしていく作業でもあります。
自分の中に大きく膨らんだ理想と期待を、現実と照らし合わせて、ゆっくりと諦めていきます。明らかにしていくわけですね。
「好き」と「申し訳なさ」を混合する
前置きが長くなりましたが、ここから本題です。
私たちは自分の愛する想いをゆっくりと小さくしていく時に、罪悪感を感じることがあります。
誰かを愛していることの方が愛せないことよりもずっと楽なんですよね。
だから相手を愛せない自分が悪者になった感覚がしていきます。
相手を放っておくような、相手を悲しませるような、愛せない自分がダメに感じて、「もっと愛するように努力をしなければいけない!」と思ってしまうのです。
「相手を悲しませてはいけない!」「もっと私が努力すればいいだけ!」
愛する想いを小さくしていく罪悪感から、相手へ執着していきます。
相手を手放さなければ、たとえ自分が傷付いても、愛することを止める罪悪感は感じなくていいですからね。
この「好き」と「罪悪感」を混同してしまうし、たくさん自分も傷付いているのに、相手を悲しませて、とても悪いことをしているように感じるのです。
でも、本当に相手が悲しみに暮れているとは分かりません。
それこそが罪悪感の罠なんですよね。
罪悪感は加害者意識を強くする
罪悪感は、より自分が悪者になる考え方を作り出していきます。
「相手も過去の傷を抱えてしんどかったのかもしれない」
「本当はいい人なのに、私が傷付けてしまったかもしれない」
「私のことを実はずっと待っているかもしれない」
こんなふうな考えを作り出しては、また罪悪感を強くしていきます。
自分の人生を大切にする
罪悪感を強めていく傾向にある人は、繊細で、自分より他者を優先して生きてきた過去があるかもしれません。
自分の気持ちよりも母親の要求と、自分の気持ちよりも父親の態度を。
そうやって、自分ではない誰かを優先して頑張ってきた。
いわゆる他人軸で生きなければいけなかったわけです。
罪悪感も加害者意識を強めて、まるで自分が相手の人生を狂わせたように感じて、自分よりも相手を優先させるように仕向けていきますからね。
もう自分を大切にする生き方を選択していきましょう。
自分を大切にする道を選んで、その道をお互いに大切にしながら、進んでいけるパートナーを選べるようになりましょう。
あなた以外の幸せのために、あなたが自分を責めて、自分を大切にできない道を歩む必要はありません。
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